2023/01/25 18:43


苦節何年でしょうか。

やっと、やっと、実店舗、EC共に再OPENすることができました。
書きたい事は山ほどありますが、さしあたり再開のご報告をさせて下さい。

こんなに時間がかかるとは思ってなかった。

思えば数年前、大好きなシェムリアップで、学のない若い友人達が手に職を持てるよう寺子屋や職業訓練校のような形のものを作りたくて始めた新工房。

当時持てるもの全てを賭けて始めましたが、日本人の詐欺師に騙されて、作ったばかりの工房とその土地を強制立退きに遭い、全部失いました。

事情を知らない人からは信用も失なったと思います。その直後には泥棒にも遭い、這々の体でなんとか移ったアパートの一階で工房だけは存続させ再開に向け動いていた矢先にコロナが来て。

その後さらに移転したばかりの物件で街を挙げためちゃくちゃな道路工事なんかも始まって。


そこからはほんとにしんどかった。ほんまにしんどかった。

色んな理由でこの地を去らなければいけなくなった人達が多い中、とにかくまだここに立っていて、まだ生きてる。それだけで運が良かったのだと思います。

なんとか工房だけは稼働させて海外からのOEM(委託生産注文)を受けて凌いできました。


その途中、一番最初から5年間ずっと寝食共にして一緒に働いてくれた一番最初の職人で、工房を立ち退きで追われた時も中国企業から引き抜きされた時も他所には行かず自分に着いてきてくれてたリー君が交通事故で突然亡くなり、わけがわからなくなって、しばらくは何もできなくなりました。


途中何度折れかけたか。
自分を騙した人達や、その後の環境や状況をどれだけ恨んだか。

それでも、頭が普通でなくなるような状況でも、しんどいのは自分だけでなく、横を見たら隣で同じように息切れして胸押さえて倒れかけてる、みたいな人達が周りには何人かいて、お互い大汗かきながら「ウチもキツイけどおたくもキツイでんなぁ。でも頑張らなあきまへんなぁ。」と強がり冗談言いつつ笑い合うことができた人達が身近にいた事でなんとか正気保つこともできたように思います。

この数年、しなくても良い回り道を散々して、唯一それでも良かったかもなと思えたことは、他人の痛みを想像したり汲み取ることができるようになった事かもしれません。

散々地べた這いつくばり回ったおかげで、前までは素通りして目にも入らなかった景色が沢山見えた。文字通り目線が落ちないと見えないことは思っているよりも多いのかもしれません。

よく「同じ目線で」みたいなことが言われるけど、そんなものは調整やコントロールしてできるようなものではない。
人は自分が痛みを以て体験したことしかわかり得ない。

他にも、もし全てがトントン拍子で進んでたら出会えなかったであろう人、これから一生付き合っていくかもしれない人にも出会えました。


そんな中でも、僕達はいくら能力的に低くても、どれだけしんどくても、ズルしたり嘘をついたり、人を騙して支持を集めたりしたことは一度たりともなかった。それだけは胸張って言えます。

当たり前のことかもしれないですが、切羽詰まった時に人の本質は出ると言うし、残念ながらこの期間中に身の回りでそういう景色を本当に散々見ました。

確かに辞めたら終わり。
汚いことをしてでも生き残ったもん勝ちという人と、そんな事をするくらいであれば綺麗に死んだほうがマシという人。
本当に様々な人間模様や人の機微が見えたし、人間関係を考えるきっかけになりました。

お茶を濁そうと思えばいくらでもできる中で、自分達はどういう行動を取るのか、散々考えました。
どちらか一択ではなく、自分達は嘘も付かないしズルもしない。その上で生き残る。
それから理想に近い未来を自分たちで作っていく。
時間がかかっても、なんとかなるまで何度もやる。

内容に大小あれ、同じ経験をした者だけにしかわからない魔法みたいなものがあると思います。
そこに言葉なんかひとつも要らない。わかる人にはわかる。
そんな事を思いました。

その上で、ズルしてる人も、嫌いなあの人も、もしかしたら見えない所で色々な事情を抱えているのかもしれない。
それを推し量るくらいの多少の想像力は今はついた気がしなくもないです。


長い間ずっと自分はつくづく運がないんだなぁと思っていましたが、全ては考え方次第で、どれだけお金を積んでも手に入れることができない経験を沢山したと思うようになりました。
周りには宝物みたいなスタッフもいる。

そう考えると、多分運が良かったんだと思います。


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工房の方はこのプロジェクトの目標でもある技術交換で交流していた同業競合他社がほぼ軒並み閉業してしまった為、当初の目標を超えて、そこの失業したスタッフ達を弊社で面倒を見て雇う事になって1年と少し、現在ではスタッフも5人になり、今では元いた子達が「ロックルー(先生)」と呼ばれてもっと若い子達を指導しています。

もうどこに出しても恥ずかしくないスキルを持った子もポツポツ出てきました。


己の甲斐性を超えた活動を曲がりなりにも今こうして続けられてるのは、場面場面で色々な形で助けて下さった方々のおかげです。
本当にどうもありがとうございました。

中には、その時その時やりきるのが精一杯で何も恩返しができてなく、結果的に不義理をしてしまってるような人もいて、ずっと胸のつっかえになっています。
そんな人にもこれから一人ひとり連絡させて頂くつもりです。

こんな散々なだらしない人間に、懲りずに応援してくれた人には、時間はかかっても絶対応援して良かったなと思って頂けるよう、そのままにするつもりは毛頭なく。


とはいえ今現在何か状況が劇的に良くなったわけではなく、現在進行系で死にかけてるわけではありますが、気持ちが変わったらあとはやるだけです。
これからどうしていくか今も毎日頭から煙出るくらい散々考えてます。


カンボジアに来て7年が過ぎましたが、やっと今初めてスタートラインに立てた気がします。

まだ辞めるわけにも、終えるわけにもいかず。
とにかくまだここに立ってて、まだ生きてる。それはとりあえず事実で。

なんとかもうちょい頑張って生きて行きます。にゃんこ達もいてますし。


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もう一つ。
今までこだわりや理想論だけで突き進んで来た気がしますが、本当に好きなものや大切な物を守っていく為には苦手分野から逃げず、曲りなりにも起業家の端くれの端くれとしてちゃんと数字と向き合わなければいけないと身を以て痛感しました。
何かを変えないと同じことを繰り返すだけ。

いくつか立てた今年の目標のうちのひとつに
「居心地の良い同じ場所からアウェーに出て勝負する」というのがあります。

コロナが明けつつあるからか、立て続けに3つ4つ日本からTVの話もありました。以前なら違うリアクションを取っていたと思いますが、今年は多少恥をかいたとしてもちゃんと人前に出て挑戦して、知ってもらう努力をしていこうと思います。


毎日毎月電卓とにらめっこする日々。
ここから先、どうなっていくかまだわかりませんが、どうか引き続きよろしくお願いします。







過去2回のプロジェクトで「工房にお名前を記載」のプランでご支援頂いた方々です。心より感謝申し上げます。これも全手作りで屋上に新しい作業部屋を増築しました。現在の作業場所の工房です。胃潰瘍で文字通り胃に穴が革漉き機で指先カッツ欠陥工事で雨が降るとすぐ洪水になる工房前

停電でも電話の明かりで作業するリー。





この間あった色々を写真で並べたらなんか笑ろてしまいました。

なんでものづくりしてるだけでこんな血まみれなるかねξ


「真剣になっても、深刻になるな」
昔尊敬していた上司に言われた言葉です。

どんな事があっても、笑い飛ばして頑張ります。

散々バカだの不器用だの言われてどないしょうもない僕らですが、アホウはアホウなりに愚直にやるしかないので、そのスタイルは貫いて頑張ります。

長文すんません!


これからもお付き合いいただけると幸いです。