2020/02/13 17:09

今日がクラファン最終日。
その日に「はじまり」の話をします。


私が、自分の子どもたち2人が不登校になって直面したのは、「平日の昼間に学校に行かない子たちの居場所がない」ということでした。
住んでいる御殿場市には、学校以外の選択肢は、図書館での先生と一対一の2時間を過ごすと出席扱いになる、というそれ一つだけ。
1人にあたりとれるのは一枠のみ。
週に2時間のみが与えられた時間。
しかも、全部で6枠しかない。
10万人の人口のある御殿場市に何百人の不登校、もしくは、学校に行きにくい子どもたちがいるのか。
それに対して六人だけの枠。
もちろん、すぐにいっぱいになりました。


子どもたちはそれを楽しんではいましたが、でも、週に2時間。
しかも、他の子どもたちとの交流はもてない。


「そんなに選択肢が無いなんてことはおかしいだろう!!」


強くそう感じました。
だから、最初に私がやろうと目指したことは、
「平日の昼間に子どもとたちが自分らしくいられる場所をつくる。」
でした。


でも、全く子どもへの支援を考えたこともなかった自分がそのまま向かうのは違う、と感じ、学校に行かない子どもたちへの学びを深める「何か」がないか探しました。


猛烈な勢いで探して見つけたのは、フリースクール東京シューレで開講されていた全20回に渡る「公開講座」。
私が見つけた時点で、あと最後の5回分を残すのみになっていましたが、とにかく申し込みました。


4校もフリースクールをもち、ホームエデュケーションコースなど多岐に渡り開講していて、しかも奥地先生はテレビに出たり、国の法律にも関わるような、私にとってみたら雲の上の方。
そんな大きな所の話を聞いて、今から子どもの小さい居場所を始めようとする自分には身分が違いすぎるのではないか…そんな不安でいっぱいながら向かいました。


そんな突撃した私にとっての初回に、奥地先生は一言目におっしゃいました。


「私は今でも『市民活動』と思ってフリースクールなどの運営をしています」


雷に打たれたような気持ちでした。
私となんにも変わらない!!この方は40年近く、ずっと今の私と同じ気持ちで続けて、最前線にたってこられた方なんだ!!
私が勝手に大きくしていた奥地先生像がガラガラと崩れて、1人の人としてお話を聞かせていただけるようになりました。


そして、奥地先生も最初は親の会から始まったこと。
最初に始めた子どもたちの居場所のフリースクールは小さな一部屋からだったことを知りました。


率直に、自分がこれからやろうとしていることについて聞いてみました。


「あなたがやろうとなさっていることは、フリースクールと何ら変わらないことだと思いますよ」


奥地先生は優しくそう伝えてくれました。
私の中にあった、「フリースクールはこうあるべき」は間違いだったことが分かった瞬間でもありました。


それからは、毎回とにかく少しでも吸収しようと学びに通い、フリースクールを始めるための準備に向かいました。


場所が確保できそうな、御殿場の隣の裾野市は「適応指導教室」があるけれど、学習道具を持って行くところで、不登校児童数から考えたら本当に少ない、3名の在籍でした。


ああ、ここでとにかく始めよう。
たくさんの居場所がなくて困っている子がいることは間違いない!
そんな気持ちが私を突き動かしました。


今は、あの時始めることができて本当によかった、と感じています。
やっていたから、今通ってきている子たちの変化が現れた。
移転先のたっちゃんとみっきぃに見つけてもらえた。
親御さんたちとの関係も作ってこれた。
そして、つぎのステージに子どもたちと向かえる。


一年半前にはフリースクールを自分が始めるとは思ってもいませんでした。
一年前にはちょうど公開講座に通っていました。


駆け抜けてきた期間を経て、次へ進みます。
今までの場所ではできなかったことへ、子どもたちと親御さんと一緒に。


最後の数時間になりました。
ありがたいことに、今日だけでもたくさんのご支援をいただき、100%まであとちょっとのところにきました。
ご支援いただければ幸いです。


達成率:87%
本日最終日!