2017/03/11 00:05

写真は、2014年2月、シカゴの街角で見かけたホームレス男性です。

下肢に障害がある(見た目でわかる欠損があったような記憶も)という男性は、マイナス10℃の気温の中、シカゴの路面に座り込んでいました。
私は持っているだけの小銭を渡し、男性にお願いして写真を撮らせてもらいました。
少しお話も聞かせていただいたのですが、充分な教育を受けられず家族もいないというお話でしたでしょうか。シカゴの寒さの中で、男性は震えており、お話をきちんと聞き取ることができませんでした。

2015年2月、2016年2月と、米国の大都市では数多くのホームレス状態の人々を見かけました。
特に2016年は、「ホームレス・パンデミック」とまで言われており、1ブロックを移動する間に数十名は見かけました。
なお、毎年2月に米国を訪れている理由は、AAAS(米国科学振興協会)の年次大会が開催されるからです(参考:シノドス・芹沢一也氏によるインタビュー「トランプ政権は貧困層や障害者に致命的な打撃を加えるのか?――日本人の知らないアメリカの「共助」を探る」)。

一転して景色が変わったのは、2017年2月です。
この2月、私はNYCに2泊、ボストンに7泊したのですが、あまりにもホームレス状態の人々を見かけないので驚きました。
NYCで、あちこちで用事を済ませながら3時間ほど移動していて、出会ったホームレス状態の人々は6組7名。うち1組は中年の夫妻で、毛布などの家財一式を積んだカートを押しながら、追い立てられたことをぼやいていました。
ボストン市でも同様でした。公共図書館が、昼間、ホームレス状態の人々が暖を取るのを黙認しているのは救いでしたが。
ここ数年、ホームレス状態の人々の「路上で寝る」「屋外のベンチなどで動かずにいる」「街をうろつく」「物乞いをする」といったこと、またホームレス状態の人々に食物を提供することなどが、米国の数多くの地域で、次々に非合法化されています。
それらの法律が、徹底して適用されれば、ホームレス状態にあること自体が困難になるでしょう。
むろん、シェルターが用意され、定住・就労プログラムの数々が用意された上でのことではあるのですが、街からホームレス状態の人々の姿は消えてしまいました。

このことは、米国の街の人々を、静かに変えたようです。
「どのようなホームレス状態の、どのような年格好の人々が、どこに何人くらいいて、何をしているか」
に日常的になんとなく関心を向けている”ふつうの人々”が、めっきり激減しているのです。
ホームレスが「増えている」「多い」には、否応なく関心が向かいます。
排除すべきか、すべきでないか、激論も起こります。
しかし、いったん街から消えてしまったら、もはや、いるかどうかへの関心も持たれなくなるのです。

「社会」というとき、「コミュニティ」というとき、誰がどのように包摂され排除されるのか。
そのことは、どのように意識されるのか。
おそらく、社会とコミュニティが指す「私たち」の内容は、日本でも気にかける必要があるのでしょう。
でも米国での「私たち」のありようは、容易に「日本人と同じ人間だから」で捉えられるものではなさそうです。