▼はじめにご挨拶

 

 

 

どーも!こんにちは!


大阪産業大学2回生の逢坂崚太です!


友人には、「ぴょんす」と呼ばれています。

 

普段は、普通に週5で大学行って授業受けてます。


バイトは、ヨーグルト工場やってましたが、


辞めました。

 

今していることは、、、、

 

 


東南アジアバックパックをしたり。

 

 

 

 

 

独断!24時間100キロマラソンを走ってみたり。

 

 

 

 

気分で蹴られ屋(梅田HEP前にて)をして蹴られたり。(笑)

 

 

 

 

 

音楽イベントで、曲なしトークライブをしてみたり。

 

 

 

 


道頓堀で自分を告知したり!

 

 

 

 


時には自身でイベントを主催してみたり。

 

 

 

いろんなおもろいことしてます。 

 

何故しているかというと、今の僕には夢があります。

 

 


それは

 

「自分に自信を持ち続けられる人を増やすこと」
です

 

最近周りの目を気にして、自分の行動にブレーキを掛けてしまってる人をよく見かけます。


僕が望むものは、自分自身が生きたいように生きる姿を魅せることで、始めの第一歩を踏み出すきっかけを作りたい。


そう思って今を生きています。

 

なぜそのような夢を持ったのか、僕の過去から説明させて下さい。

 

▶▶「幼稚園から14年間」生粋のサッカー小僧。


最初は地元のJリーグチームのガンバ大阪のジュニアチームに入団していました。そのまま小学校もサッカーを続け、小学6年生のときには、大阪府枚方市の30以上ある全クラブチームの大会で優勝することができました。

 

中学校でもクラブチームでサッカーを続けたが、「サッカーやってる自分がダサい」と一度離れた時期もありましたが、周りの人たちのおかげで再度復帰することができました。


その後の活躍で、見事3つの高校からサッカー推薦のお話があり、最終的には大阪産業大学附属高校を選びました。

 


がしかし。

 

▶▶「万年3軍!?」180人の強豪校での苦しいレギュラー争い

 


現実は想像以上に過酷なものでした。。。

180人もいる強豪校なだけに高校の半分以上3軍で苦しみました。


同い年の仲間たちが1軍2軍に上がっていく中、自分は3軍にいて上がるチャンスをつかむのに必死でした。


結果的に、最後のアピールチャンスと言われていた遠征でその実力が認められ、高校2年の終わりには晴れて、レギュラーメンバー入りを果たしました。

 

 

▶▶先輩が引退。そのまま新チームで自分たちの代へ。


新チームになって、私自身も、180人を代表する11人の1人としてピッチに立つことになりました。


長く苦しかった3軍時代に培ってきたアツい想いを体現できる舞台。一日一日。新チームでの第1戦が近づくに連れて、満ち溢れていく高揚感。


あのときはただただ純粋に仲間とボールを蹴るのが楽しく。何よりも、第一戦第二戦第三戦とリーグが始まり、切磋琢磨した仲間と戦えることが嬉しかった。

 


しかし、そんなとき。


事件は起きました。

 

 

 

▶▶リーグ第四戦を控えた前夜

 

眠れない。


ただならぬ違和感。


ひどく痛む左脚。

 

リーグ第四戦を控えた前夜。左脚に例えようのない激痛が走り、布団の中で激しくもだえました。


気がつくと、病室のベッドでした。痛みで気を失う経験は初めてでした。私の叫び声に気づいた父が、病院へ運んでくれてたのでした。


原因は、前日の練習中に相手との接触によって古傷が再発。左脚のふとももを見ると、ふだんの倍以上に腫れ上がっていました。

 


ドクターからの診断はコンパートメント症候群。テニスボールぐらいの血の塊が体の一部にできる病気。血の塊が血液の循環を止め、実際にプロサッカー選手が死亡する事例もあるとのこと。

 


「半年は確実にサッカーが出来ない。」

 


「無理をすれば、脚が壊死して”切断”もあり得るよ。」

 

 

「脚の感覚がなくなったら切断する手術をするので。」

 

 

 

 

 

 


「何を言われているんだ?俺は。」

 


全く理解できませんでした。脚がなくなる。今まで通りの生活が出来ない。何に悩めばよいのか。どこに何が起きているのか。


現実を受けて止めきれない。パニック状態。今まで頭の中の100%を占めていたサッカーがその瞬間消えました。

 

おみまいにくる方へはいつも通りお調子者を演じていたものの、夜寝る前、ふとひとりになると泣き続ける。そんな日々が続いていました。

 


▶▶それでもあきらめれきれなかったサッカー

 

 

「ぴょんす、待ってるぞ。」 

 


チームメイトからの一声が僕の情熱に火をつけました。

そこから僕の奇跡の復帰劇が幕を開けました。


小学校時代からお世話になっている名医の人に頼み込み「どこよりも負荷はかかり、どこよりも早く治る治療」を自ら選択し苦闘のリハビリに挑みました。


それは自分で自分の体を傷つける治療法で血の塊を抜くというとてつもなく痛いものでした。


耐えに耐えた結果、全治半年だったのが結果的に2ヶ月で完治しました。しかも最後の選手権ではベンチ入りまで食い込むことが出来ました。

 

 

▶▶私の復帰した、もう一つの理由


当時私は、「復帰してピッチに立ちたい」という想いとは別の目的がありました。それは

復帰して這い上がった自分の勇姿を周囲に魅せることでした。


僕がかねてから気にかけていたのは、「グダる」という自分の可能性にブレーキをかけて全力でサッカーが出来ないメンバーの存在でした。

 


「怪我をしても俺は戦える」

 

自分の戦う姿勢を仲間に、そしてチーム全体にその意志を伝染させていこう。そう心に誓い行動していたのでした。

 


行動は結果で見せる。

 

これが僕の復帰劇です。

 


▶▶夢を持って臨んだ大学生活、実際は。。。


高校サッカーを引退し、大学に進学した僕の夢は、「体育教師になること」でした。

 

しかし、体育教諭志望者向けのガイダンスで2000時間という膨大な座学の量がいることを聞き。

「ただ体を動かしたらなれる」と勘違いしていた頭の悪い私は1日であきらめました。

 

その瞬間からの僕は、目標を持たない普通の大学生となってしまいました。

 

 

▶▶この先何を目標にして生きていこうか?

 


そのとき、過去の自分と向き合い、今の自分を見つめ直します。

病床で下された絶望的な宣告。やりたくても出来ないサッカー。

 

 

 

そうや!


今、自分に出来ること。


やりたい事を全力でやり遂げよう!


おもろい人と出会おう!


色んな人と出会うにはヒッチハイクだと思い、

 

僕は「日本一周ヒッチハイク旅」にでました。

 

 

 


旅中にはたくさんの物語がありました。


それらは思いもよらないタイミングでピンチにもなるし、チャンスにもなる。

 


だからこそ


自分の思いに素直になって自分の足でアクションすることの大切さを伝えたい。

 

 

そんな経験を通して、僕には大きな夢が出来ました。

 

それは、芸能人になってテレビを見ている全国の人たちに、前に一歩踏み出すきっかけとなれる人物になることです。

 

そんな壮大の夢を追いかけて日々挑戦し続ける僕は、新たな挑戦を実行したいと考えてます。

 

ぴょんすの第一歩、それは


「アフリカ大陸縦断」


です。

 

▶▶なぜアフリカを選んだのか?


海外は何が起こるかわからないし、ましてやアフリカは未開の地。

浪漫もあり、危険とも隣り合わせの世界。

 

そこで出くわすピンチもチャンスも、自分なら乗り越えていき、皆と最高の物語を作っていくことが出来ると僕は思っています。


全力で生きること。

自分を信じて突き進むこと。

そこに最大の大義があり、結果がついてくる。

 

この旅の様子をTwitterやInstagram、Facebookなどを通して伝えていきたいと思っております。

 

今後は

芸能界入りして、イッテQとか

の海外ロケでお茶の間を笑顔にしたいのが僕の夢です。

  


▼資金の使い道

旅費40万【往復分】

生活費30万【食事代・宿泊】

アフリカでの通信量15万 【スマホ代】

ワクチン10万

機材10万

非常食5万

VISA5万

 

 

 

▼最後に

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

アフリカ縦断。

 

少しでも興味を持っていただけ、「志援」していただけると幸いです。泣いて喜びます。

どうぞよろしくお願いします。

 

 逢坂崚太

 

  • 2018/07/15 13:56

      アフリカ縦断を企画する、19歳の大学生ぴょんす。   海外ロケなどでも、経験豊富な千原せいじさんからの、アドバイスに企画者の心は打たれた。 https://twitter.com/GANGNAMOSAKA/status/1017940160124555264?s=20     ...

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