2020/02/17 20:19

※写真:ライフリンクの清水(左)と朴さん

「日韓自死遺児交流会」を開催するきっかけを作った朴ヘソンさんから、寄稿をいただきました。

自殺対策に関わるようになった経緯

こんにちは、朴ヘソンと申します。私は韓国のソウルで大学を卒業して、英語を教える会社で働いていましたが、ある日、結婚2年目だった姉が胃がんで亡くなりました。

当時、身籠っていた姉は自分の病気に気づかず、子どもを産んだ後、検査でそれを知ることになりましたが、既に末期状態で手遅れでした。一年間の姉の看病を通じて自分に何ができるか必死に祈っていました。そして、姉が亡くなる前に発した「本当に“生きたい”」という言葉を聞いて、いのちの大切さを心から実感しました。

姉のように生きたくても生きられない人たちのため、私ができることがあれば、何かしようと思い始め、福祉のことを考えるようになりました。ちょうど妹が日本に留学していたので、迷わず日本への留学を決めました。

日本語を習得した後、日本の大学院で「自殺」をテーマに研究することを決めた私は、2008年、自殺対策を社会全体で推し進める、NPOライフリンクでボランティア活動を始めました。ライフリンクの活動を通して多くの「自死遺族」の方々と接し、自死遺族のための研究や活動を本格的に始めました。そして、同時に、私は韓国人として、韓国の自死遺族のことも考えなければならないと思い始めました。

2010年10月に韓国へ戻り、韓国の自殺対策に尽力している民間団体「韓国いのちの電話」を訪ね、自死遺族に会いながら、相談や分かち合いの会などの自死遺族支援を続けてきました。

日本よりさらに根強い韓国の自殺に対する偏見

分かち合いの会を始めた当初、参加者の大半は子どもを亡くした母親でした。そして、その母親たちが一番心配していることは、遺された子ども(自殺で亡くなった子どもの兄弟、姉妹)でした。自分の心にある悲しみよりも、遺された子どもも後を追って自殺で亡くなるのでないかと心配をしていました。そのため私は、その子どもも分かち合いの会に参加してもらい、相談に乗らせてほしいと言いましたが、母親たちは、「下手に手出しをすると最悪の結果が起こるかもしれない」、「そもそも子どもには、兄弟が自殺でなくなったことを言っていない」と口ごもりながら、わが子の参加を拒否しました。

しかし、実際に、子どもたちに会ってみると、ほとんどの子が、自殺のことに感づいていました。そして、子どもたちのほうもまた、親の苦しみに触れまい、また親が後追い自殺をするのではないかと怯えるあまり、「自殺」について、切り出すことができなかったのです。こうして、当事者自身も自殺をタブー視せざるを得ない環境が韓国には根強く残っています。

自殺に至るには、貧困や就労、パワハラ、いじめど、いろいろな要因があるにも関わらず、自殺が起きてしまうと、まず世間は、「その家族の不和や家族の間に問題があるかもしれない」などのような先入観と偏見を持っています。自殺を防げなかった責任のすべてが、その家族に問われ、非難の対象になるために、自死遺族たちは、家族を亡くした悲しみや苦しみなどを誰にも話せず、心に封じ込めて生きざるを得ないのです。

日韓の自死遺児交流会の開催を、遺児たちに約束

私は2016年3月に、大学院の博士課程のために日本に戻りました。その際、韓国の遺児たちには、「来年、必ず私が日本の自死遺児たちと会える場を作るようにする」と約束をしました。日本に戻って、ほどなくして、ライフリンクの清水代表に提案したところ、その場で「ぜひ、やろう!」と2つ返事をいただき、その半年後の2016年の9月に「第1回自死遺児交流会」の開催が実現し、2018年には第2回が開催されました。この会により、韓国の遺児たちは、大きな安心と力を得て、自分たち自身の中で「変化」が起きていることを感じ始めています。

交流会を通して、自死遺児たちに生じた大きな変化

ある遺児は、人間関係が苦手で会社で働くこともできず、就職してもなかなか続けられなかったのですが、交流会に来たら一番積極的であり、良く笑ったり、話かけてくれたりします。私の考えでは、いろいろな人と出会って、良いことや悪いことなど、すべてそのまま自分のことを受け入れてくれた人たちに勇気をもらっているのではないかと思います。今は会社に就職し元気に働いています。

ほかには、最初は自分のことを誰にも話さないようにして、誰かに知られたらどうしようと心配していた遺児が、今は名前も顔を出して堂々と自死遺児として、自殺対策に積極的に参加しています。また将来の目標として同じ経験をしている遺児たちのため自分ができることをしたいと考えるようになっています。

そしてまたある遺児が、第2回の交流会が終了時、私にこう言いました。

「朴さん、別れたくないです。日韓自死遺児交流会は、私の生きる意味になりました。また1年間待たないといけないですね。でも第3回で、皆にいろいろな話ができるように頑張りますね。」

その瞬間、その遺児含め、韓国で出会ってきた自死遺児たちが強いられている数々の苦しみが、頭の中で思い出され、私自身も10年以上の活動で経験した辛い思いが浮かばれる気分になり、思わず涙が出てしまいました。その遺児を抱きしめながら思い切り泣きました。

日本は自死遺児の声により、社会問題として対策が進むようになり、今や全国規模で「生きる支援」としての自殺対策が進められる枠組みが整ってきています。その一方で、韓国は、まだまだ自殺対策も自死遺族支援も立ち遅れています。

韓国の遺児にとって、意を決して声を上げ、社会を変えてきた日本の遺児の皆さんは、人生のモデルであり、目標であり、これから安心しながら生きてもよいという生きる希望を示してくれていると思います。交流会を通じて、「今の自分を信じて生きても良いんだ」、「私の隣には私を支えてくれる仲間たちがいるんだ」と感じています。

どうかこの生きる力となる「絆」を絶やさず、さらに広げていくために、ご支援のほど、よろしくお願いいたします。