2019/07/17 04:10

ご支援ありがとうございます。「水道橋博士のメルマ旬報」にNO BORDERについて寄稿しましたので支援者の皆様にも共有させていただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大阪のウィークリーマンションに住んでいる。
1年以上前から準備していたライブエンターテインメント「NO BORDER」が大阪城公園内COOL JAPAN OSAKA SSホールで始まったのだ。
正直、連日満員御礼とはなっていない。確実にぶっちぎりに面白いのにお客さんが中々入らない。こういう現象って送り手側が面白いと思い込んでいるだけで客観的に見ればそうでもないから、と言うのが通常であるだと思うのだが、このNO BORDERについてはそうではないと確信できる。それはコンテンツ作り40年をやってきた全てを賭けてそう言い切れる。
だから焦ってはいないとも言える。いずれは世界中で「これはすごい」と評価されるだろうと思っているからだ。でも「なぜだ?早く気がつけ世界」とも思う。
なぜ「NO BORDER」はクイックなレスポンスで爆発的な集客が起こらないか?
と言うことについて考えてみようと思う。
体験してくれた人たちが口を揃えて言うのが「人に伝えるのが難しい」と言うこと。「あなたの分身がキレキレダンス!アバターテインメント誕生」現在劇場前で叫ばれているキャッチコピーである。この文字数では言い得ているんだけれど、でもこの出し物の魅力を伝えられていないと見た人は思う。
例えば映画の宣伝で「感動」だの「絶対泣ける」だのコピーを駆使し、それでこの監督、この俳優女優でと言うとある程度は想像ができる。またはその監督、俳優または原作者のファンがいてやっぱり見る前に想像をしてチケットを買う。それは想像以上のこともあり裏切られることもあるが、でもそれは「想定内」の範囲である。
ところがこのNO BORDERは自分のアバターが舞台上のスクリーンの中でキレキレのダンスを踊ると言うことが「今までに無さすぎて」想像できない。
いや理解はできるし、それがどんなことかは想像できるだが「それを見たときにどんな感情になるか?」が想像できないと言うべきだろう。
だからそれを体感した人間が「人にこの感情を説明するのが難しい」となる。
ほんの数分前に銀色のボックスに入って「バシャ」とシャッター音がしてどうも写真を撮られたような気がするが、それがが〜まるちょばのパントマイムで笑っている最中に突然暗転してスクリーンの奥から自分が40人のうちの一人として出てきて、さらにそれが等身大で、そしてキレキレのダンスを踊り始める映像を目の当たりにしたときの感情を「なんと伝えたらいいのか分からない」となるのだと思う。
そのアバターが色んなコンビネーションで色んな情景の中で踊りそして最後にはNO BORDERな感情を持ってステージが終了するをものを見ている感情、それは正直“感動”と言っていいものだと思うが、想定を超えているので「言い表せない」となるのだと思う。
劇場内の一番後ろの席で最後のシーンを見ることが多いのだが、不思議な感情、感動が劇場内に満ちているのを毎回実感する。感想を聞けば非常にリアルな「面白かったです」と言うコメントを聞くことができるがそれ以上はあまりない。分析が難しいのだ。自分が「キレキレのダンスを踊る」と言う“有り得るかもしれない別の自分”に会った直後の自分の感情にどう対処していいか分からないと言う感じなのだろうと思う。ドッペルゲンガー現象が本当に自分に起きたときの感情。
だからこそ、このNO BORDERは革命的と言っていい新しいエンタテインメントになっている。
このNO BORDERからエンタテインメントは新しいジャンルが生まれていくことになるだろう。
それをいつ触れるべきかはあなた次第だ。