2020/03/16 11:39

長谷寺の数々の霊験譚

大和の長谷観音が全国的に知られ信仰されると、あちこちに長谷寺と名付けるお寺ができました。佐渡の長谷寺も、そのひとつで、山号は豊山、所在地の字名も長谷であるから、大和、の長谷寺の100%生き写しを目指してできたお寺です。聖武天皇の天平年間(729~749)に行基菩薩が開創したとか、平城天皇の大同2年(807年)に弘法大師が開創したとかの伝承があります。

ご本尊(弘法大師が彫ったと言われる)にはいくつもの霊験譚が伝わっています。

例えば天正年間(1573~1592)に寺田城主:鳥羽備前守の子供が大病を患ったが医療の効なく、長谷寺を訪れていました。住職の指示のもと十一面観音に病気平癒を祈願すると、所願成就したと言います。

また寛永年間(1624~1644)に奉行に竹村弥太郎が、当時に参拝してご本尊の開帳を強要しました。住職が断ると奉行は自分で強引に開扉しようとしたが、突然両眼が盲目となりました。仏罰を悔い自分の傲慢を謝罪して田畑を寺に寄付したと言います。

また文化11年(1814)観念房という者が眼病平癒祈願で、長谷寺に参籠したが、6日目の夜半、一人老僧が現われて心願は成就すると言って消えました。予言の通り、観念房は眼が見えるようになったのです。