2024/04/29 10:18

「てつ」

このクラウドファンドのコンサルを請け負ったちゃんちき堂のてつが、レインボールーム代表のようこさんへのインタビューを行うこの企画の三回目。


前回の壮絶な暗黒時代を経て、遂にレインボールームの立上の話にたどり着きました。

聞くだけでも正直つらくなってくる。。。これを読んでくださる方も同じ思いなんじゃないかと思います。

もちろん、ようこさんと羽美ちゃんの体験してきた「きつさ」に比べたらなんてこともないにしても。

でも、ここまでを共有することができたら、この先の意味をぼくらも捉えられるんじゃないかと思っていて、いよいよレインボールームの立上にいたるお話、ようこさんお願いします。


「ようこ」

はい。

少しずつ娘が自立に向かい、自分の時間を作ることができた私はレインボー立ち上げの準備に入ります。

具体的には、夜中まで本を読んだり、研修もコロナ禍でオンラインになった事もあり、今まで受けに行けなかったお医者さんやカウンセラーさん等のオンライン研修を毎週予約して、多い月では、10日程研修を受けました。

娘も付き添いで、(時には会場外で主人と待っていてもらい)オフラインの研修を受ける。楽しくて仕方ないですし、本を読める時間ができた事もありがたい。(研修は今でも積極的に参加しています)


感覚過敏、視覚から受ける影響なども勉強し、色合いも考えて、自己資金で出来る限りの配慮をした部屋を作りました。


一人では社会ではない、3人以上で社会になる。

当時学んだ事を取り入れ、でも10人では人数が多すぎて繊細さん、敏感な子供達には厳しいだろうと言う事で、一度に3〜5名程度の支援を始めました。

もちろん、個別支援も必要だし、慣れてきた子供達の次のステップとして10名程度の集団支援を一か月の中で、子供が選択してできるカリキュラムを作りました。


娘は思春期に入っていましたが、まだ私が居ないのは不安。でもママにいてもらいたくない、と言う気持ちの間で揺れていました。


レインボールームでお菓子作りやご飯作りをした際には、楽しくて一緒に食べる事ができる様になりました。

「吐いてしまわないか不安だけど、でもみんなと一緒に食べたい」

そんな気持ちで毎回挑戦していました。


異年齢活動で5才くらい下の女子が沢山レインボーに来てくれ、娘は

「この子の前ではしっかりしないといけない、こんなに小さい子がこんなに凄い作品作れるんだ!ママと離れて居られるんだ…自分も頑張らないと」

と言う想いでいました。娘からしたら、可愛くてたまらない年下女子の前で、良いお姉ちゃんでいたかったんです。

これが、ちょうどいいくらいの、娘の

「頑張る気持ち」

を後押ししてくれていたんだと思います。


また、同年代女子達と、他愛もない話をする時間も楽しく、みんなそれぞれ大変な事がある事を知ったり、自分はこうしてきたけど、違う方法もあるのか…と、つまり自己理解も進んだと思います。

 

「てつ」

これ、まさに今回の最初にようこさんが言っていた3人以上で社会になるっていう話の体現ですよね。

そして、思春期に入って、お母さんから少し離れたい。

社会参加していきたい。

その中で自分の役割や居場所を得たいっていう自然な欲求がいい結果につながったってことなのかしらん?


「ようこ」

本当にそうだと思います。

だから、ここからぶつかる壁にも、1つ1つ挑戦していくことができたんだと思います。

もちろん、傷ついたら帰ってこれる「安心できる場所」ができつつあったからですけれど。


だんだん元気になった娘は、中学生になり、学校に行ってみるといいましたが、そこで

「支援級は差別されている」

と感じる壁にぶつかりました。支援級は通常級の子と廊下で話してはいけないと言う決まりが当時あったのです。

仲の良い、良かった、転校前のクラスメイト達がいるのに、廊下で姿が見えても話してはいけない(今はそのような事は解消されたそうです)と言う、あまりに悲しい出来事に、傷つきました。


でも、レインボーに行けばスタッフは上手く話を聞いてくれる、同じ気持ちを経験した子供達がいる。自分の発言は絶対に否定されないし、自分は一人じゃないと思える。

「私は私のままでいいんだと思える」

と言い、レインボーに継続して通いました。


少しずつ嘔吐に対する恐怖心も減り、レインボーで私は認められている、自分らしく居られる、そう思い始めたように私は感じていました。

 

昔は、自分だけだと思っていたのに、沢山同じ想いをしている子供がいる事を知り、レインボーに関わる、子供、親御さん、地域の人、ボランティアさん、スタッフ、市議会議員さん、都議会議員さん、みんなが優しくて、

娘は

「スタッフ、レインボーの子供、パパさんママさん、ボランティアさん達みんな優しいね!私を学校に行っているいないで見ない。自分を一人の人間として、話を聞いてくれる」

と言い、

「ママ!産んでくれてありがとう!生まれ変わってもまた私に生まれたい」

などと発言するようになったんです。


この文章を書いていたら、スタッフのあいさんからこんなメッセージをもらいました。

「周りの人が理解して環境を整えること、自己理解すること、ちょうどいいチャレンジを繰り返すこと(初期は特に成功体験を繰り返すこと)、それと社会経験なんだけど、社会経験だけはオヤコでできないから作りたいってよーこさんはいつも言ってますよね。私もそう思います。」


本当にこの言葉通りで、人間は心底社会的な動物で、娘のように今の社会に参加しずらい特性を持っていたとしても、社会参加の欲求をかなえていくことは自立そのものにつながっています。

でも、特性によってチャレンジできる階段の大きさは違います。

彼、彼女の中でのチャレンジが失敗ばかりだったら、それは挫折の経験となり、二次障害を引き起こしてしまい、悪いスパイラルに入っていってしまう。

彼、彼女が挑戦しがいのある階段を作ること。

見守り、時には手を貸すこと。

登れないことを責めないこと。

それを親子関係だけで実現することは不可能なんです。

親はすべての特性のスペシャリストじゃないんだから。

そして、親子関係は社会とはいえないのだから。


だから、レインボールームのような場所が必要なんだと、私はこの子と歩んできた体験の中で思い知ったんです。

レインボールームのように専門性があるスタッフと共に。

同じ境遇の子ども達と一緒に。

生活し、体験する場所が、当時の私たちにあったら!って。


普通に学校に通える子ども達と同じように、レインボールームに通う子ども達にもたくさんの可能性があるんです。

二次障害に苦しみ、親子で絶望し続ける必要なんてないんです。

肯定され、居場所を作り、自分のペースで一歩一歩、自分の生を生きる。

レインボールームはそのための場所でありたいと、そう願っています。


「てつ」

本当によく自分の中で理解したかは自信がないです。

同じ体験をしてきたわけではないから。

そして、なぜ、ようこさんだけがレインボールームを立ち上げることができたのか。

この、ようこさんの壮絶なポジティブさっていうのはどこから生まれてくるのか。

そんな疑問というか唖然というか、はぼくの中に残っています。

同時に、ようこさんと羽美ちゃんとの一歩一歩。

その体験が原型となって、今のレインボールームがあることはよくわかりました。

クラファンはもうすぐ終了しますが、ぼくもできるだけのことをやろうと思います。

今日は本当にありがとうございました。


「ようこ」

ありがとうございました。