▼はじめまして、

杉本愛(ちか)と申します。 

新潟県新発田(しばた)市生まれ
熊鈴をカバンにつけて学校に通う程の、田んぼと山と畑に囲まれた田舎に高校を卒業するまで過ごしていました。給食のおばちゃんをしている母親や、畑作業を仕事としている祖母に育てられたお陰で、自然で美味しい食べ物が周りに常にある恵まれた環境で育ちました。
堤幸彦監督のトリックや、水曜どうでしょうや、Perfumeが大好きです。
様々な経験をし、故郷新潟でお客さんが健康になれるパンとお惣菜のお店をしようと、難病の脊髄小脳変性症なのに料理上手で小器用な夫と、大正11年に建てられたお家をリノベーションしながらお店を作っております。

(店舗前出入口前にて デッキの色は夫婦で塗りました)

下の画像以降は私が地元でお店をしようと思ったの道のりを載せています。18歳~35歳まで載せてますので、長いです。

携帯からご覧の方には全て読むのが大変かと思いますので、先にリターンを軽く記入させて頂きます。

「リターンの一例」
・3000円 手作りコサージュ 1花 
・3800円 パンチケット11枚(期限なし)
・4500円 コーヒーチケット11枚(期限なし)
・5000円 焼き菓子とコーヒー豆のセット 1回
・5000円 新潟県産 新米コシヒカリ10㎏ 1袋
・6000円 手作りお人形 1体
・8000円 パンとコーヒー豆のセット 1回
                    等々
 ※上記全てのリターンにお礼のお手紙を添えて支援者様へ送付する予定です。
  お問い合わせはこちらでもお受けできます。
  maruni.chigaichouji@gmail.com

(焼き菓子の一例 スパイスたっぷりの全粒粉クッキー)

▼プロジェクトをやろうと思ったキッカケと理由 

「思い返せば、、、高校の時」

トヨタ提供のテレビ番組「素敵な宇宙船地球号」で公害で苦しんだ四日市市のゴミの出し方が日本一綺麗とか、ゼロエミッション(ゴミ排出ゼロ)のモデル地域に選ばれた屋久島が昔米の代わりに屋久杉を年貢として納めていた等を知り環境とは色々な方向から見る事が大切なんだと実感。人間の文化・心理・歴史・森林・経済などが全て学べる愛知県岡崎市にある人間環境大学に入学しました。

 「大学にて」

授業で地域活性化論というシャッター商店街だった長浜市が日本一住みたい町に選ばれた軌跡を学びました。講義の後は実際に長浜市を視察し長浜市民が観光客を楽しそうにおもてなしする様子を見て、新潟でも活かせないかと考えるきっかけとなりました。

設立されたばかりの大学だった為、校内の花の世話だけでなく、畑で野菜やハーブを育てる園芸部を設立しました。お金がない学生でしたので畑で出来た野菜で自給自足の生活が出来ればいいなぁ、などと顧問の先生と企てておりました。
開墾1年目は石灰とたい肥を蒔いて苗を植える慣行農法を行ってみしたが、鍬を入れるとすぐに見れたミミズの量が減っている事に気付き、開墾2年目は耕さず肥料も与えず草も抜かずにただ種を蒔いて収穫する自然農法に変えてみました。しかし収穫量は激減!ヒョロヒョロの人参っぽい物が収穫出来ただけでした。

就職活動時期になると、米と水だけで出来る日本酒の酒蔵に憧れ何社か受けてみましたが撃沈!スーツを着て通う会社への就職は考えていなかった為、神奈川県にあるパーマカルチャーの学校や、福島県で自然農法の研修が出来る場所を訪れ話しを聞きに行きました。しかし、園芸部で学んだ農家さんの大変さ、植物が枯れる理由の不明さ、体力のいる事を実感していた為、農業で暮らすとは人より体力のない私にとっては大変な事なのかもと思い、私に合った楽しい生活が出来る方法はないかと探し始めました。

森林環境学という森林の生体を知る学部を専攻していましたが、卒業論文では「持続可能な農業とは何か」と園芸部で学んだ事を書き、担当教授から”君の個性は農業です”と言われながらも無事に卒業出来ました。

(店舗横の壁のツタです 屋根まで届きそう!)

 「自分の将来」

 大学卒業後に実家に戻り、手に職をつけるべく医療事務の勉強をして神経内科の診療所で働いていました。しかし高校の時に知った屋久島を直接見たい気持ちが大きくなり、住み込みで働ける屋久島ユースホステルに私の思いをしたためた作文付きの履歴書を送り込み期間限定で働けることになりました。
屋久島では、屋久島クリーンサポートセンターや生ごみをたい肥化する地力センターに行き島内のゴミの循環の様子を職員から直接聞く事が出来ました。その他にも島内で出来た知人から”自給自足をしている人がいるから”とお家に連れて行ってもらいました。明るくて自然体な方なので、人や近所の犬や猫までもが集まって自分の家のようにくつろいでいました。家に上がると山から直接引いた水を手作りの囲炉裏で沸かし、会話をしながらすり鉢でゴリゴリ引いた手作りのブレンド茶でおもてなしをしてくれました。そのお茶の美味しさにはとてもビックリしましたが、何よりその場の雰囲気がよく何時間も居たくなりました。
屋久島の友達や一緒に働いているスタッフやユースホステルに泊りに来てくれたお客さんとも夜な夜な話をし、人が集まって話をする事の楽しさを感じていました。しかしユースホステルで働ける期間も終わり、新潟に戻りスーツを着た社会人もしてみたいと思い実家に戻る事にしました。



(店舗を作る主人の様子 お父さんが大工だったので工具操作もお手の物)


「念願のスーツを着る仕事に就く」

太陽光発電の人事の仕事だと思い受けた会社が、面接を受ける内に名前違いの大手アウトソーシングの人事の仕事だと気付き面接官と大笑いしました。しかし人と話す仕事内容が楽しそうだったので働く事にしました。新潟支店で入社し、半年もしない内に愛知県の岡崎支店に転勤し更にその数か月後には三重県の四日市支店と津支店を兼任することになりました。高校の時にテレビで見ていた四日市市に気がつけば自分が働いていました。
色々な県で色々な人とお会いしましたが、新潟県を知っている人が少ない事を感じていました。
そして楽しく人事の仕事をしていた2008年、リーマンショックが起きました。その影響を直に受けた会社が退職金付きの早期退職者を募集しだしました。「自由になるチャンス!!」と思い、退職金をもらいホクホクで会社を後にしました。

(店舗近くの神社と銀杏の木 木が大き過ぎて神社が小さく見える!)

「さてこれから、何をしよう」

と、思う間もなく今までお世話になった人達に会いに行く旅を始めました。
福井県から始まり、岡山県、広島県、沖縄県、屋久島、ベトナム、千葉県、神奈川県、宮城県、東京都と訪れ泊まらせてもらった友人の家でフトみた雑誌に大学の時に訪れて話をさせてもらったパーマカルチャーの代表が表紙になっていました。それをみて「やっぱり農業だ!!」と気付きましたが、体力が人よりない事に気が付いていましたので、農家さんが作ってくれた食材を活かせる飲食店の道に進む事に決めました。
住んでいた三重県に戻り「オーガニック 三重」で検索をして一番初めに出てきた自然食のカフェへ、めざましテレビの占い結果がいい日に就職出来ないか聞きに行きました。すると、”土日なら人が欲しい”と返事を貰いボランティア要員として働き始めました。カフェの仕事と平行して、三重県庁観光課の臨時職員として、6ヵ年計画の地域活性プロジェクトをお手伝いする仕事も決まり、大学で習った地域活性化論の授業が役に立ちました。
そんな生活を数か月程続けていたある日、カフェと一緒の敷地にある自然食品の販売員にならないかと勧めてもらいそちらをメインとして働くことにしました。
 そして、カフェのオーナーの付き人で小豆島の醤油蔵や愛知県の味醂蔵に連れて行ってもらい、伝統的な方法で作られている調味料の勉強もさせてもらいました。カフェでは毎月ミュージシャンのライブや、芸術家の販売スペースとして貸したり、農家さんの野菜の販売など何かしらのイベントが行われていたので、県内だけでなく県外からもお客さんが来てくれていました。
その他にも自然食品の販売所の70代のオーナーご夫妻や、私が住んでいた家の70代の大家さんご夫妻にもとても良くして貰い、年長者の色々な経験話を沢山教えてもらいました。今の主人と結婚出来たのも、この方々が背中を押してくれたお陰です。
 


(お店で引き取る予定の昔の古い製材機)
 

「健康でいる事が一番難しいのかも」

新潟で始めるお店の資金を貯める為に、三重県の病院で働いていたそんなある日、産婦人科へ行くと卵巣に良性の腫瘍が出来てると先生にさらっと宣告されました。最初は甘く見てましたが、痛みが尋常でなくなってしまった為手術をすることにしました。しかしその手術の前後に受けたホルモン注射の影響で更年期障害になり、家に塞ぎ込むようになっていました。体力も気力も極端に落ち、寝れない日々が続きました。その様子を見ていた調理師免許を持っている主人が、食育の勉強と薬膳の勉強を始め私の体調に合った食事を考えて作ってくれるようになりました。
気が付くと、体が受付けない食事と受付ける食事に分かれている事に気が付きました。
受付けない食事は、添加物の多い物・農薬の多い物・油の古い物で知らずにうっかり食べてしまうと動けずに寝込んでしまう日も多々ありました。
受付ける食事は、主人が作ったもの、添加物や農薬の少ない物、以前働いていた自然食の販売所で売られている物でした。お米は実家のコシヒカリが食べれましたが、パンは物により食べれなくなりました。そんな時に京都の窯職人が子供の時に海外で食べていたパンを自分で再現し作っている内容がテレビで紹介されました。とても美味しそうだったので、直接窯職人に問い合わせたところ手紙付きでパンを送ってくれました。主人と食べてみましたがとても美味しくてビックリしました。新潟でお店をしたいと話をし、窯職人からパンの作り方を直接教えてもらいました。

これまで私が体感した経験により、主人が作る美味しいパンと体にいいお惣菜のお店を新潟でする事にしました。
お店に色々な世代の人が集まり色々な話やイベントも出来る場が新潟に更に増えれば、新潟県をもっとアピール出来るようになるのでは?そして農家さんの多い新潟で、お客さんに喜んでもらえるような商品を生み出せば6次産業化も夢ではないと気づき、実行に移す方法を模索し始めました。

 
(店舗イメージ図  杉本愛作)  

 

 

上の朱色の印は、”丸に違い丁字(ちょうじ)”という名前の杉本家の家紋です。人生で2回目に削った消しゴム判子の割に上手く出来ました!
丸の中にあるのは、大根ではなく丁字というスパイです。クローブと言った方が分かり易いでしょうか。上の写真で私が履いていたエメラルドのズボンを作ってくれた友達の天才服飾家に画数をみてもらい「マルニチガイ・丁字」と店名を決めました。スタバのように、お客さんからどのように店名を短く呼んでいただけるか今から楽しみです!

  
▼このプロジェクトで実現したいこと

新潟県は南北に広く、佐渡島や粟島もあるとても広い県です。当店のお店は、新潟県庁のある新潟市の西蒲区巻東町(にしかんくまきあずまちょう)にある大正11年に建てられた古民家を夫婦二人で昨年の10月~改築中です。

新潟県は四季のハッキリした県で、冬の雪が有名です。雪が降ると景色は一遍して真っ白な町へと変貌し、音もなくただただ見とれてしまいます。雪が解けた後に春が一斉に来るので緑も花も一気に咲きお祭りのようです。夏は見渡す限りの田んぼが緑の絨毯を作り、空の青と雲の白に田んぼの緑ととても綺麗です。秋には田んぼが金色になりナウシカの金色の野になります。
海も山も酒蔵もワイン蔵もあるので、食べ物には困りません。

そんな新潟にパンとお惣菜のお店を開こうと今お店を作っていますが、単純に食べ物を売るだけのお店ではなく、お客さんや農家さんや色々な人達とお話をする事で人を繋ぐ拠点となるようなお店を目指しています。そして、私の故郷新潟が、お店をきっかけに他県でもっと周知されるようなお手伝いができればと思っています。 

現在マルニチガイ・丁字は、10月末の開業に向け夫婦の思いを沢山乗せて、お客さまがいつもとちょっと違った異空間に来たようにゆったとり楽しんでもらえるようリノベーションをしています。自分たちで出来ない部分は専門の方に助けてもらいましたが、店舗全体のデザインや内装・入口のアプローチは主人の案を採用し制作しています。お庭も広い為に、テイクアウトのパンやお惣菜を外で食べて頂くことも出来る様綺麗に整備していきます。新潟県は車社会です。少しでもお客様が駐車しやすいように裏庭を整備します。

 (リターンの板はこのような感じに付けさせて頂きます!ご支援頂いた方の板がどこに使われたかが分かるように、皮の部分に番号札を設置します。)

▼資金の使い道

今回のプロジェクトで皆様にお願いしたいことは、マルニチガイ・丁字のオープンに向けて必要になる諸経費のサポートです。

古民家をただリノベーションしただけの古い家ではゆっくりしてもらえないのではないかと思い、どこか懐かしいさが残りつつ異空間に来たような店舗をご用意したいと考えております。

具体的にご提供いただきたい資金は、以下の内容に使用させていただく予定です。

 ・改装作業全般
 ・インフラ整備の資金
 ・駐車場の整備に使う資材等
 ・庭の芝や植物の購入
 ・手作りパン釜を作る材料、消火器の購入と設置
 ・備品、キッチン用品の購入
 ・小麦粉や、食材の購入
 ・製材機の運送代
 ・その他諸経費


▼これまでの活動

2011年頃~ 店舗用のお皿の購入開始
2013年3月 新潟県で店舗物件探しスタート
2013年7月 店舗物件は見つからないが、三重県から新潟県へ引っ越す
2013年10月 にいがた産業創造機構へ創業支援者への補助金の相談へ行く
2014年1月 新潟市産業振興財団へ、パンとお惣菜屋の事業計画の相談に行く
2015年5月 平成26年度 創業・第二創業促進補助事業採択決定
2015年7月 店名を「マルニチガイ・丁字」に決定!!
2015年8月 新潟市にイメージ通りの物件に出会い賃貸契約を結ぶ
    8月 私の幼馴染に店舗内部の図面を作ってもらう
    8月 新潟市の保健所にキッチンに必要な器具の相談に行く
2015年9月   店舗の庭の雑木林の整備を業者さんにお願いする
    9月 店舗内部に電気設備がない事が判明、電気設備の業者さんに来てもらう
    9月 大家さんの沢山の荷物の撤去作業を開始
2015年10月 第1回地域創生大光銀行ビジネスプランコンテストで、パンとお惣菜屋のビジネスプランで優秀賞を受賞
     10月 税務署に開業届を提出
2015年11月 屋根裏部屋を2か所発見 掃除箇所増加
    11月 地元の方のご厚意で店舗の家具として使える小物をいただく
2016年1~2月 降雪の為、店舗の掃除中断 食材探しの旅へ
    3月 税務署に青色申告書の申請書の提出
2016年4月 大家さんの荷物の掃除の目途が大方ついたので、大工さんにお願いして玄関の解体開始
    4月 斑鳩建築さんにて手動の木材製材機をもらう
2016年4月 店舗内部の畳を剥がし、焼却所へ捨てに行く
2016年5月 大工さんに耐震強化の為の床板を張ってもらい、玄関前のデッキも作成してもらい、天井の梁を出してもらう為に屋根板を剥がす
2016年5月 業者さんに水回りの配水の作成をしてもらう
2016年6月 友達の作家さんにエプロンの作成を依頼、作成後受け取る
    6月 天井のすす払いを開始
    6月 大工さんが作ってくれたデッキに色を塗る
    6月 店舗庭の草刈りを開始、繁茂しないようシートを被せる
    7月 キッチンの天井に一回目の色を塗る
    7月 CAMPFIREさんのサイトの作成相談開始
 8月15日~CAMPFIREさんにて当店のプロジェクトを開示


▼最後に

ここまで、私の長いお話しを読んでいただき本当にありがとうございました。
お店ができるまでがスタートラインです。スタートしてからも楽しい日々を過ごせるよう夫婦二人で一歩づつ前へ進んで行きます。

パソコン操作が苦手な私ですが、この場で皆様に私の想いをご披露出来るのもCAMPFIREさんのサポートのお陰です。この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございました。

 新潟県新潟市西蒲区巻東町128番地
マルニチガイ・丁字  杉本愛 
直接のお問い合わせはこちらでも可能です。
maruni.chigaichouji@gmail.com

  • 2018/02/23 10:16

    お久しぶりです(^^♪こちらの投稿はしておりませんでしたがお店は今も無事に営業しております(笑)私事ではありますが、9月下旬より体調を崩しておりましたが色々な方のサポートのお陰で、少しづつ体調が良くなってきました。本当にありがたいです。その間も主人一人で当店の宣伝活動にお店の営業にと、地道に一...

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    オープンして3ヶ月が過ぎました。変化したといえば、イベントに出る事が多くなり・沼垂(ぬったり)テラス商店街の朝市・静岡市のフリーマケットへパンを持って出店してきました! 更に、農家持ち寄りの店「彩採(さいさい)」で毎週日曜日にパンを置かせてもらっております。ありがたいことです。 少しず少し...

  • 2017/08/17 08:49

    今回の活動報告の主役は、何と言ってもほぼ週一で訪れてくれるボランティアさんです。画像が草取りをした始めの頃の様子。店の前の草を刈ってくれ、ハーブまで植えてくれました!お客さんにも「庭が綺麗になったね」と言われ、有り難い限りです。お盆中も来てくれましたが、草を刈る前と後では、つきものが取れたかの...

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