物語は一つの折鶴から始まりました。広島で被爆した佐々木偵子さんは12歳で亡くなった。偵子ちゃんは広島に原爆が投下された日、放射能を帯びた黒い雨に打たれ被爆し、10年後白血病を発病しわずか12年でその生涯を閉じました。

 医師から長くて1年の命との宣告を受ける中、偵子ちゃんは死の間際まで懸命に折鶴を折り続けました。その折鶴には、何としてでも病気を回復し「生きたい」という切なる願いが込められていました。偵子ちゃんの最後の言葉は、「お父さん、お母さん。。。。ありがとう」だったそうです。偵子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子供たちを慰霊する「原爆の子の像」ができ、そこに折鶴が集まるようになりました。

 オバマ大統領が広島に足を運ばれた際に、被爆者の方々と面会し、資料館へ自ら折った4羽の折鶴を持参されました。広島平和記念資料館の志賀賢治館長は、資料館を訪れた際のオバマ大統領の様子について、わずか10分のご訪問でしたが「特に偵子さんの折鶴に関心があったようで、ご覧いただいた。そのあと、被爆を伝える資料をご覧いただいた」とし事前に勉強されていた様子が伺われたと話されています。

 オバマ大統領が4羽の鶴を持参した背景には、偵子ちゃんの兄、雅弘さんの息子である佐々木祐滋さんが自ら作った「INORI」という曲や数々の講演活動などを通じて、偵子ちゃんの味わった「悔しさ」や「生きたい」と願った気持ち、さらには「平和への思い」や「原爆の悲劇」を世界の人々に訴え続けているからでしよう。

 裕滋さんは父の雅弘さんらと一緒にアメリカのロサンゼルスを訪れ、原爆投下命令を下したハリー・トルーマン元大統領の孫クリフトン・トルーマン・ダニエル氏と共にロサンゼルスにある「寛容博物館」へサダコ鶴を寄贈しました。

 そして祐滋さんは、偵子の鶴を絶対に真珠湾に贈りたいと思い、周りから心配や反対もありましたが、クリフトン・トルーマン・ダニエルにも協力して頂き念願であった真珠湾への寄贈が実現し、今度はその偵子鶴を常設展示する為に必要な約7万ドルの費用を集める為に、現地の日系人の方々とオバマ大統領の母校であるプナホウ高校の先生と生徒達が中心となって動いてくださったおかげで常設展示も出来ました。

 このように一羽の偵子の鶴が祐滋さんを通じてオバマ大統領の心を捉え、日米開戦のきっかけとなった真珠湾にまで届けられる事になりました。

 祐滋さんが折鶴は皆の心を必ず繋いでくれると信じていると言われるように平和を願う皆の気持ちが鶴を通じて世界に拡がっていく事を願いたいものです。

  弊社はオバマ大統領が広島訪問時に折り鶴を持参された思いに感動し、この思いを我々なりに世界平和に繋がるよう陶磁器の折り鶴を製作し広島と長崎を中心に販売してきました。この度ICAN(アイキャン)がノーベル平和賞を受賞された事を記念して「ミシュラン・グリーンガイド・ジャパン」の二つ星を獲得している幸兵衛窯さんで核廃絶を祈った記念の鶴の置物を製作して頂く事を企画しました。幸兵衛窯の加藤幸兵衛氏は被爆体験をお持ちで自らの想いを語って頂きました。

 

 この度、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞されたことを大変喜ばしく思っております。この度の受賞記念として、陶製の鶴の置物を製作されている一幸陶苑さんと共同企画し、幸兵衛窯の特徴を生かした陶製の鶴を製作する事に致しました。

 私自身も広島にて生後一ヶ月で被爆した体験を持ち、核のない世界の実現に大きな関心を抱いています。

 最初に折鶴を折った偵子さんの気持ちに思い、私共の職人が核のない平和な世界になるよう丹精込めて製作いたしました。

 『折鶴プロジェクト』を立ち上げ、広島・長崎の被爆者と共に船旅を通じて各地で原爆被害の証言をし、核廃絶のメッセージを世界に伝える活動を行われているピースポートさんに 頂いた支援金の一部を支援させて頂きます。

 是非、平和祈念をした鶴をお手元に置いて頂き、世界平和を皆で目指してまいりたいと思います。

  

作陶する加藤幸兵衛氏

趣がある幸兵衛窯

◆1804年(江戸・文化初年)に、初代幸兵衛により開窯され、210年を超える

伝統ある窯元。江戸城の御用窯となっていた。

◆現在は七代幸兵衛が主宰しており、六代加藤卓男は、三彩の技法で人間国宝

の認定を受けていた。ラスター彩・青釉・ペルシア色絵・三彩等が有名な技法。

当代(七代)は、美濃陶芸協会 前会長であり、日本新工芸家連盟顧問。

全国有名百貨店で、個展を多数開催。

◆美濃焼を代表する窯元で、近年は観光地としても知られ、フランスの由緒ある

観光名所ガイド「ミシュラングリーンガイドジャポン」で、二つ星に認定されて

おります。 

 

頂きました支援金は鶴の型代や製作費などに大切に使わせて頂くつもりです。またファンディングの一部をピースボートさんに支援しお一人々の核廃絶を願う気持ちを世界に拡げていきたいと思います。

  

     

 

 弊社の鶴の置物がオスロの地でお土産として手渡されました。

手にしている方はオスロ大学の自然歴史博物館の植物園長トール・カールセンさんで「被爆樹木の種を広島からオスロに」というプログラムを企画されました。

http://www.tokyonp.co.jp/s/article/2017120901001892.html

 

 来日中のフィン事務局長に幸兵衛窯の鶴がお土産として手渡されました。核のない平和な世の中が更に広がればと思います。

 

 写真提供:ピースボート

 

 

 

 

このプロジェクトの問題報告はこちらよりお問い合わせください