☆☆10/26 ストレッチゴール達成しました!!! 皆様、ご支援ありがとうございます!!!☆☆
本当にありがたいことに、当初の目標額のみならず、ストレッチゴールにも到達することができました。
これで、支援者の皆様【全員】に、パルバティ・バウルによる、8世紀の仏教歌チャリヤー・ギーティのCDをお付けできることになりました。
本当に、応援・ご支援してくださった皆様のおかげです。
心よりお礼申し上げます!
ストレッチゴ―ルには到達しましたが、クラウドファンディングは最終日10月30日まで続きます。
今後ご支援いただけた皆様には、通常のリターンに加えて、もれなく仏教歌チャリャー・ギーティのCDが付きます。
もちろん、「Song of the Great Soul」日本語版への支援者名掲載も最後まで続きます。
ご支援いただければそれだけ選択肢が増え、より良いものが作れるようになります!
どうぞ最後まで、よろしくお願いいたします!
☆☆9/22 目標額達成しました!!! 皆様、ご支援ありがとうございます!!!☆☆
皆様の応援・ご支援のおかげで、開始から一週間にして、目標額を達成することができました。本当に、ありがとうございます! 取らぬ狸の皮算用…と言っていたのですが、皆様のご支援の賜物で目標額を達成できましたので、仏教歌CDの制作を本格的にめざしていきます!
・【新たな目標設定(ストレッチゴール):60万円…仏教歌CDの制作】
ご支援額が60万円に到達しましたら、支援者様全員に、パルバティ・バウルによる8世紀の仏教歌「チャリャーギーティ」のCDをお付けいたします!
「チャリャー・ギーティ」は、8世紀のインド東部〜ネパールにかけての地域を放浪していた、遊行の仏教僧たちの詩です。古ベンガル語で書かれていて、その内容やモチーフはバウルの詩と非常に通じるものがあり、この詩集に詩が残されている仏教僧、カンハやサラハは、バウルの先人だと伝えられて来ました。「図説ヨーガ大全」著者の伊藤武先生によれば、
—―“日本の空海と同じころに生きた仏教タントラの大成就者サラハが打ち出した「生まれもった身体に、すでに悟りが具わっている」というのがサハジャ思想で、これが後期密教やハタ・ヨーガの推進力になっていきます。
サラハやルーイーやカーンハといった仏教タントラの大成就者は、おのれの悟りを詩をうたうことで表現しました。バウルはそうした「歌う密教行者」の直系の子孫なのです。”
(参考:http://itotakeshi.blog33.fc2.com/blog-entry-152.html)
下の動画では、パルバティ・バウル自身が仏教とバウルの関係について語っています。(歌は4:02頃より)
(4:02から歌が始まります)
『なぜ 欲望や恐怖に囚われているのか
自分自身の肉が、鹿の最大の敵
ひと時の安らぎも無い
彼は草を食べず、水も飲まない
牝鹿の住処が見つけられない
なぜなのか
牝鹿は言う 聞きなさい
森を出て死にもの狂いで走りなさい
ブスクは言う
愚か者にこの真理はわからない』
(ブスク)
「チャリャー・ギーティ」には詩のそれぞれに、古の旋律(ラーガ)の名前が書いてありますが、実際にどのように歌われていたのかは、今では想像するしかありません。パルバティ・バウルは現存する旋律(ラーガ)を参考にしながら、この詩に自ら旋律をつけて歌う、というプロジェクトに数年来、取り組んでいます。しかしながら、まだCDになっている音源はありません。
ご存知のように、日本は仏教国と呼ばれるほど、仏教との縁深い国です。実はパルバティ・バウルは10年ほど前にも日本を訪れていて、日本の文化には非常に親しみを覚えるところが多かったそうです。
かつて日本の僧侶たちは、命がけで大陸から仏教の教えを持ち帰りました。今、仏教のふるさとインドの地で、バウルの現代の担い手が、古い仏教の歌に取り組んでいて、来年には日本にやって来ます。
ならばこの仏教歌、ほかでもない日本で、CDにしたい!
また、後に販売する時には本とCDは別売とし、リターンでは最低額(3000円)でもステッカーも付き送料も含まれるので、後で購入するよりもお得になります。
どうぞ、新たなる目標達成のため、引き続きのご支援・ご協力をいただけたらと思います。どうぞよろしくお願いいたします!
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▼はじめにご挨拶
ノモシュカル、「バウルの響き」制作実行委員会の佐藤友美です。来年6月には、師匠であるパルバティ・バウルを招聘し公演ツアーを行う予定です。今回それに先立って師匠パルバティ・バウルの英語による著書「Song of the Great Soul」の日本語版「大いなる魂の歌」を制作したいと思っています。
「Song of the Great Soul」とは、東インドとバングラデシュにまたがる、ベンガル地方を中心に伝わって来た伝統、バウルについて紹介した本です。パルバティ・バウル自身の経験をまじえてバウルについて語られた、いわばバウルについての入門書といえます。バウルの詩27篇の英訳、そして画家でもあるパルバティ・バウル自身の手による木版画が含まれています。
--Parvathy Baul "Song of the Great Soul"
日本ではほとんど知られていないバウルですが、この本に垣間見えるバウルの生きざま、そして素朴で謎めいていながらも、生きる智慧を秘めたバウルの詩は、日本にも必要としている人がたくさんいると確信しています。
東京に生まれ、帰国子女として育った私は、「伝統」と呼べるどんなものからも隔たれて生きているように感じていました。どんな社会にあっても生きにくさや違和感を抱えていた私は、大地に直に通じるような祈りの「うた」を探し求め、インドでそれを見つけました。そして今、バウルの道を歩んでいます。
とはいえ、私自身、バウルの道を歩みながらも、バウルとは何か?ということを日々自らに問いかけている状態です。当然ながら、今これを読んでくださっている皆さんもバウルに関しては、まだまだ疑問でいっぱいかと思います。そこで、まずは私の少ない経験からではありますが、このプロジェクトについて以下を順に、お伝えしたいと思います。
①バウルとはいったい何か?
②師であるパルバティ・バウルとはどういう人物か?
③どういったきっかけで私がバウルの道を歩んでいるのか?
④そして、私がこの本の日本語版を作りたいと思う理由を。
▼「バウル」とは何か?
バウルはベンガル地方の、放浪の吟遊詩人だと紹介されますが、本質的には行者です。独特の哲学を反映した詩を歌い、踊ります。農村部を中心に、戸口などで歌うことで米や野菜をいただくという、托鉢・門付をしながら旅をし、修行を続けていました。今は、都市部や、電車の中でも見かけることができます。
仏教やイスラム神秘主義、女神信仰やヒンドゥーなど、様々な伝統の影響を受けながら、どの宗派宗教にも属さず、師弟相伝で受け継がれて来た、と言われています。アジア初のノーベル文学賞受賞者であるタゴールの詩に影響を与え、彼によって世界に紹介されました。2005年にはUNESCO無形文化遺産にも指定されています。
バウルとは何か? これを解き明かすことは容易ではありません。
バウルの言葉としての意味は、「狂い」です。「愛に狂う人」。「社会通念から外れた人」。あるバウルは、こう答えるかもしれません。「それは愛だ」しかしその一見シンプルな境地に辿り着くまで、彼はどれだけの修行を積み、苦境をくぐり抜けて来たのでしょうか。
またある人はこう言います。「バウルとは心の状態だ」
Photo by Akira Io -- パルバティ・バウル
このように様々な言葉で表されるバウルですが、「Song of the Great Soul」の中では、このようにも書かれています。
——これがバウルだとか、あれがバウルだ、などと言うことはできない。それぞれの求道者にそれぞれの道があるからだ。
舞い歌う姿が印象的なバウルですが、バウルは歌を「語れ」と言います。歌を歌っているようでは、ただのシンガーである。バウルであるということは、けっして、歌手になる、ということではないのです。これは、歌手を貶めて言っているわけではなくて、バウルというものの本質は、歌を歌うということではないのだということです。
パルバティ師は、詩の真髄を正しく継承するためには、歌や舞の厳しい訓練は不可欠だと言いますが、同時に、そこに囚われてはいけない、と教えます。
▼師パルバティ・バウルとは?
では、パルバティ・バウルとはいったいどんな人物なのでしょう?
パルバティ・バウルは、今、世界的に最も知られているバウルの一人です。伝説的なバウル、故ショナトン・ダス・バウルと故ショシャンコ・ゴシャイに師事し、バウルの伝統を次世代に伝える役目を託されました。エクタラと呼ばれる一弦琴を手に、ドゥギという小さな太鼓を腰につけ、そして足首には鈴のついたアンクレットであるヌプルを付け、その三つを同時に操り音を出しながら、舞い歌うというスタイルを引き継いでいます。これはバウルの最も基本的なスタイルと言われています。その芸術性はインドのみならず、世界中で賞賛され、各国でコンサートやワークショップを行っています。
バウルは、家系によって伝えられるものではありません。バウルの子がバウルになることもあれば、ならないこともあります。パルバティ・バウルは元々、画家になるべく、タゴールが創った学園都市シャンティニケタン大学にやってきた画学生でした。しかしそこで、彼女はバウルに出会い、やがて全てを捨ててその道に身を投じていくことになります。
彼女の魅力を知るのには、まずは何はともあれ、映像を見ていただくのが一番、分かりやすいかと思います。
▼何がきっかけで私がバウルの道を歩んでいるのか?
私がパルバティ・バウルと初めて会ったのは南インド・ケーララ州の州都トリバンドラムでした。彼女は西ベンガル州出身ですが、パートナーのラヴィ・ゴーパーラン・ナーヤルの故郷ケーララに拠点を置いていたのです。当時私は、IT企業で日本語の講師として働いていました。
初めて彼女に出会った時、私はバウルについて何も知りませんでした。のちに自分が本格的にバウルの道を歩むことになるとは思いもせず、初めはただ数曲の歌を、こころみに習っただけでした。
しかしある日習った歌は、それまでの数曲とは違って、かなり宗教的にもとれるような内容で、私はとても驚きました。
『向こう岸へ
私をつれて行って
一人では渡れない
あなたの慈悲なしには』
(ラロン・ファキール)
「ずいぶん、宗教ぽく見える歌ですね…」と曲の率直な感想を伝えると、パルバティ師は言いました。
「これは、どんなことに取り組む時にも必要な態度。
何かに取り組む時は、自分の身を捧げて取り組むこと。
普通の人は、何かが起きた時、怒りや悲しみを目の前にいる人に向ける。
行者はどんな感情でも、それが怒りなど負の感情でも、喜びでも、天に向ける。
それが、普通の人と行者の違い」
そう言った時の彼女の瞳には、夜空の星が瞬いているように見えました。
「天に負の感情を向ける」とはどういうことだろう。それほどの感情を、私は世界に対して持ったことがあっただろうか。私が学んで来たことと言えば、過剰な期待をしないことで、自分の心を守ることぐらいだったのではないか。誰かや何かに対して強く感情を持つことすら、諦めるばかりだったのではないか。
この歌でラロンは、自らの絶望的な状況を嘆き、天に救ってくれと訴えかけています。しかしそこには、「それでも許される」「見捨てられることは無い」という根本的な天への信頼感があるのだと、パルバティ師の言葉を聞いて思い至りました。それならばまずは私もラロンのように嘆くこと、そしてそれでも受け容れられることを期待することから始めてみよう、と思いました。インドでの仕事を辞め、日本に帰国してからも繰り返し、この歌を歌いました。
これが、私がバウルの道に入ったきっかけです。
Photo by Samuel -- ショナトン・ダス・バウルとパルバティ・バウルと共に
▼「Song of the Great Soul」をどうして日本語に翻訳したいのか?
「Song of the Great Soul」はおそらくバウル自身が英語で書いた本としては初めてのものだと思います。今に至るまで類書はほとんど無く、これほど簡潔に、深く、バウルの入門書として英語で書かれているものは他に無いと言っても過言ではないでしょう。
パルバティ・バウルは二人の師から、バウルの伝統を次世代、そして世界に伝えていくことを託されました。そうして世界中を旅するようになった彼女は、人々の求めに応えて、バウルについての本を出版しました。それが、「Song of the Great Soul」です。
この本には、彼女自身のバウルとしての経験や、どのようにこの道に入ったかに加え、二人の師、故ショナトン・ダス・バウルと故ショシャンコ・ゴシャイについても書かれています。このお二人は、近年最も尊敬されたバウルの長老たちであり、どちらも行者としてのみならず、歌舞においても別格と目されていました。ここに描かれている彼らの人生を通して、バウルという生きざま、そしてベンガル地方においてバウルがどんな存在であるかを感じることができます。
(故ショナトン・ダス・バウルの貴重な映像)
私のバウルとの出会いは、南インド・ケーララ州の州都トリバンドラム。バウルの故郷であるベンガルの農村ではありませんでした。ですから、私の「バウル」に対するイメージは、まずこの本によって形成されました。この本を読んでいると、パルバティ・バウル自身が語るのを聞いているような気持ちになります。入門して初めの頃は、パルバティ師から直接聞く断片的な話とこの本が、バウルの先達に想いを馳せる拠り所でした。もちろんベンガルの農村に行ったことのない皆さんにとっても、まだ見ぬ「バウル」に対して導いてくれるようなものとなると思います。
バウルの詩。時に謎めいていて、神秘的でいながら、どこか土っぽい詩は、人の興味を惹き、どこか不思議な郷愁を呼び起こします。バウルの詩は、バウルの先達たちがその叡智を詩に託して伝えて来たものです。
バウルは詩の中で、時に「心よ」と問いかけ、あるいは訴えかけます。なぜ、自ら囚われているのか。「心よ、深く己の中に潜り、そこにある宝を探せ」…。バウルの歌うモチーフは、よろこびや愛の「市場」としてのこの世であったり、美しく創造されているのに自分ばかりが満足していない「家」としての、この身体であったりします。
Photo by Akira Io -- パルバティ・バウル
『見知らぬ鳥よ
どのように、その籠を
出入りしているのか
掴まえることさえできたら
私の心の足かせを
その足に付けるのに』
(ラロン・ファキール)
この本には、そんなバウルの詩の英語訳が27編収められています。そして、画家でもあるパルバティ・バウル自身の手による版画や絵画作品も。これらの絵はバウルの生活やお祭りなど、バウルとともにあるベンガルの風景を描写していて、ベンガルを知らない皆さんにも、どこか郷愁を抱かせるものだと思います。
私が、他のどこにも見つけられなかったものをバウルに見出だし、その道を歩んでいるように、日本にもきっとたくさん、この本を必要とする人がいると思います。師であるパルバティ・バウル、そして師を育て上げた二人の偉大なるバウル、ショナトン・ダス・バウルとシャシャンコ・ゴシャイの人生に垣間見える、バウルという生きざま。それは、現代を生きる私達の心に暖かい光を灯すものとなるでしょう。 この本には、黄金なるベンガルの大地で育まれた「大いなる魂の歌」がつまっているのです。
そうはいっても、今だ日本ではほとんど知られていないバウルの本を、大手の出版社から出すのは残念ながら不可能です。けれども、どうしてもこの本を、日本語で読める形にして、皆さんに届けたい。そこで、この本の自費出版プロジェクトをクラウドファンディングという手段で立ち上げ、皆さんからのご支援を仰ぐ決心をしました。力をお貸し頂ければ幸いです。
▼資金の使い道
・出版費用(印刷費、デザイン料等)
・リターン
・送料
・原作者への版権使用料
などに使わせていただきます。
▼リターンについて
・日本語版「大いなる魂の歌」【支援者のお名前掲載】
・原著「Song of the Great Soul」
・パルバティ・バウルの手によるバウルの色鮮やかなポストカード
・パルバティ・バウルの版画を用いたトートバッグ
・パルバティ・バウルの版画を用いた特製ステッカー
・2枚組CD「Sahajia」
・CD「Premgeeti」
・バウルの使う小さなシンバル・コルタル
▼最後に
まだまだバウルについて、疑問がたくさんあるかもしれません。そんな方にこそぜひ、日本語版を届けたいです。気になるということは、そこに何か、響くものがあるはずだと思うから。
皆様のご支援、どうぞよろしくお願いいたします。
合掌・ジョイグル。
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