はじめに・ご挨拶

ご覧くださりありがとうございます。
鎌倉バスケットボールアカデミー代表の天野由一と申します。

私達は”鎌倉にバスケットボールという新たな文化を創造する”を理念に、2012年より活動しております。

新たな文化とは、恒久的に継続可能な事業として確立する事です。

バスケットボールを通して、様々な年代がスポーツや身体づくりに親しみ、コミュニケーションの輪を広げる環境作り。そしてプロフェッショナルによるバスケットボールやトレーニングの指導。
観光地として有名な鎌倉市ですが、市内に住む子どもたちや近隣の市の子ども達や大人の方も含め、充実したバスケットボールの環境を創り提供する事を目指しています。

このプロジェクトで挑戦したいこと

現在私達は、解散の危機に瀕しております。

新型コロナウィルスの猛威により、2月下旬より活動制限。3月より全スクールの閉鎖。

春休みのイベントや卒業生のイベントの中止。GW合宿の中止。

そして再開の目処が立たない現在。

当団体で、バスケットボールスクールの指導を本業としているコーチと、現場にて安全管理や有事の際に救急処置やリハビリをする柔道整復師。このままスクール再開が出来ず事業収入が0のままですと、全てのスタッフを解雇せざるを得ません。

そしてそれは、私たちの理念の意味である”恒久的に継続可能な事業”では無くなります。


私がこの活動を始めたきっかけ

私がバスケットボールを市内で継続可能な事業として創ろうとしている理由は、2つあります。

1つ目は、鎌倉市の中学でバスケ部員だった頃からの理由。

代表の私自身、中・高とバスケットボール部に所属していました。
中学生の頃は鎌倉市内の中学に在学しており、バスケ部に入り初めてバスケットボールに関わりました。

そして知った事が

【鎌倉市のバスケ部はすごく弱い!】

私の中学は当時指導者にも恵まれ、鎌倉市内では上位の方で(私はベンチでしたが)市内大会の次にある地区大会ではシードでした。
ですが鎌倉市代表のシード校は、地区大会で藤沢市や茅ヶ崎市の5位や6位チームにほとんど勝てません。
そしてこの現状は20年以上前から今も変わっていません。鎌倉市はすごくバスケ部が弱いのです。

その理由はいくつかありますが、一つは小学生チームの数の少なさです。
また、それに比例して市内の指導者の数の少なさもあります。
中学1年生でバスケ部に入ったとき、同級生全員バスケ初心者。先輩はバスケ歴1年。顧問の先生はバスケ未経験。運動指導未経験。
どこの市でもあり得る事ですが、特に鎌倉はこの割合が高いと感じています。

それらの問題点を解決するために、3種類のスクールを開始しました。

・小学生のクラブチーム
・中高生のクラブチーム
・現役経験者(部活動やミニバス含)対象のスキルアップスクール

小学生時のスポーツの選択肢として鎌倉市内でバスケは影が非常に薄いです。
また、中学は学区で決まるのでどのようなバスケ部に入れるかは運です。自ら指導者・チームを選べません。

小学生や中高生に、バスケに親しむ・学ぶ場の選択肢を創ろうと思い、現在のスクールを始めました。


2つ目は、私がスポーツトレーナーの専門学生として活動していた時です。

そもそもスポーツトレーナーを目指したきっかけは、運動が苦手だった為です。

小学生の頃に運動を全くしていなかった私は、中高とバスケ部に入り、誰よりも活躍できない上に誰よりも怪我をしていました。同級生より運動量も少ないのにです笑

同級生と比べてバスケの技術が劣っているという劣等感と、怪我も多くて練習が出来ていないという焦りも合わさり、いつも怪我をしてはすぐ練習に戻って、また怪我をして。そんな事を繰り返していました。
思えばその時に”怪我や治し方を教えられる人になれたらいいな”なんて思っていたのかと思います。

私は自分が運動が苦手だけども、バスケを通してスポーツの楽しさは感じていました。
小学生の頃はスポーツや運動をしても同級生への劣等感の方が気になり、なるべく避けていたのです。

運動が苦手な子どもや選手に、どうやったら運動が得意になるか?楽しくなるか?】

と考えるようになりました。

その手段と能力を身に付け、伝えられる仕事をしようと、スポーツトレーナーの専門学校へ進学しました。

専門学生時代にスポーツ現場にて働いているプロのスポーツトレーナーを徐々に知るにつれ、ふと気付いた事がありました。

”あれ?トレーナーを生業にしてる人って、プロチームのトレーナーだけ?”

そう、今になってみればそれが日本の当たり前なのですが、そもそも小学生や部活動生の現場にプロのトレーナーもいなければコーチもいないのです。それで飯を食えないのだから当たり前です。

そこで私は選択肢が2つありました。

・定時の定職につき、勤務後や休日にボランティア指導者として現場に出る。
・自分でスクールを立ち上げて生計を立てる。

私は迷わず後者を選びました。なぜなら時間とお金を割いて今まで学んできているからです。前者はプロとしての道を自ら捨てる行為だけでなく、今後生まれるトレーナーやコーチの生業を奪うと考えた為です。

これまでの歩み・軌跡

2012年、市内の友人と近隣の体育館を夜間に週1度借りました。
当時の私はスポーツクラブで働きながら活動を開始しました。


最初の1ヶ月は参加者0。
2ヶ月目になり、1人の中学生男子が来てくれました。
その選手は現役バスケ部でしたが、正直あまり運動が得意ではなく試合にもなかなか出られないと言っていました。
まさに中学時代の私と被り、指導にやりがいを感じました。
とにかくその選手に、当時の自分ができる事、教えられる事をひたすら伝えていました。

その彼がすごく一生懸命に練習に向き合ってくれたおかげで、1ヶ月ほどすると同じ部活動内の選手達が変化を感じたようです。
そこからでした。毎週2人、3人と参加者が増えてきたのです。

1ヶ月参加者0だった選手が、半年ほどたつと毎週10人ほど集まるようになっていました。
それからますます私は指導の実践のために、日々仕事の終わった時間に勉強や練習の時間をより割いていきました。

週ごとに参加者が増えるにつれ、参加者のカテゴリもニーズもばらつきが出てきました。
多様な全ての参加者のニーズに応えたい。そう思い、年齢や目標に応じて複数のクラスに分け、より細かな指導を行なう様になりました。

時間により学年を分けたり。新しい会場でスタートしたり。同じ会場を曜日別にしたり。
それに伴い参加者が増え、今では年齢や目的別の9クラスに分け、約150名の会員が在籍しております。

資金の使い道

人件費、送迎車の維持費、事務所維持の固定費。全て維持するだけでも費用が必要です。

私達はスクールを展開し指導料をいただき、生活をしています。

スクールが実施できなくなった今、ただただ耐え忍んでいますが、限界も見えてまいりました。

私はもちろんですが、スタッフの人件費を賄えなくなりましたら、夢半ばですが当団体は解散となります。

最後に

本来は今年度に、私設のバスケットコート・トレーニングジム・治療院を全て併設した施設の工事が始まる予定でしたが、白紙となりました。

それはまた元のように活動が再開でき、今後の拡大とともに改めて取り組みたいと考えています。

どうか今を繋ぐ、継続するためのお力を頂きたいと存じます。

何卒ご協力をお願い申し上げます。

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