2016/09/28 17:51


「もし夢が同じならば力を合わせたいです」

「夢の共有のご提案をありがとう!」

このメッセージは、2013年12月、
番田雄太さんが、OriHime開発者、吉藤オリィさんに送った
facebookメッセージと、吉藤オリィさんからの返信の一部です。
このSNSを介しての会話が、二人の出逢いのはじまりでした。



今でこそ、番田さんは、吉藤さんと一緒に数々の講演会に、
ときにOriHimeで、ときに自ら新幹線に乗り出かけ、
子どもから大人まで、多くの方にその声を届けています。



4歳からずっと寝たきりだった番田さんは、

それまでも、「社会と繋がりたいとずっと考えていた」
話してくれたことがあります。

冒頭のメッセージを自分からオリィさんに送ったことで、
二人が出逢い、OriHimeを通じてたくさんの仲間ができた、
そうして皆とつながる中、

今度は本当に逢いたい、リアルに逢いたい
と思えるようになったといいます。

OriHimeは、コミュニケーションのツール、
必ず向こう側に誰かがいる。

番田雄太さんがオリィさんにメッセージを送ったように、
そして、オリィさんもまた、番田さんに逢いに行ったように、
【一歩を踏み出すこと】がとても大切で、

OriHimeはその「一歩」を優しくサポートしてくれる存在

なのではと感じます。

冒頭のメッセージには、まだまだ素敵な続きがあります。
番田雄太さんの言葉には、わたしたちもいつも勇気をいただいています。

番田さんからのメッセージをご紹介させていただきます。
皆さまにもお読みいただけたら幸いです。


「肢体不自由であっても、社会に参加できる未来を目指して」

メッセージ:番田雄太

 私は交通事故による頸髄損傷で呼吸器使用者の肢体不自由となりました。
4歳から長期にわたる病院での療養生活が続きましたが、
一昨年に約22年が経ち、やっと退院することができました。
事故に遭ってからの22年間、私は思い通りに動くことができず、
大きな苦痛と精神的ストレスに襲われていました。

 気持ちが元気な私は常に縛り付けられている感覚でいました。
外の世界で風を感じ、空を感じ、
それぞれの人が、やりたいことをできる。
そんな当たり前のことができないのです。

 肢体不自由であるために、寝たきりの状態が余儀なくされると
外との接触が無くなり、人との出会いが遮断される。
それは「孤独」を引き起こし、自分の「価値」を見失い、
「生きる」気力を奪います。
事故後の私は危うくそうなりかけました。

健康な人は、それが当たり前にあることが、
当たり前ではないことにも気付かず、友達と勉強をしたり、
遊んだりすることが普通にできると思いますが、
私はこれまで友達とも関わることもない人生でした。

今もそのまま行動を起こさずにいたら
この舞台にも立つことはありませんでした。

 私は、人との出会いとリアルな繋がりによって、
世界は拡がっていくのだと確信しました。

 出会いが、個々の状況と環境を変化させる。

私は人の手を借りることができるから現在がありますし、
これからもあります。
肢体不自由でも強い意思を持ち、その意思を誰かに伝え、
協力し合いながら行動していければ、社会に参加できる。

 世界中の私と同じ境遇にある人たちにも、
そんな未来が必ず来ることを伝えていきたい。

OriHimeを作ることが目的ではなく、
私たちの目標は人との出会い、つながり、そしてその次へ

 世界中のベッドの上で過ごす人たちが、
等しく社会で活躍できる未来を創ります!

2016年 番田雄太
株式会社オリィ研究所ホームページより)


雄太さんからは、今回の、【あまのがわ】にも、応援メッセージをいただいています。



映画 あまのがわ、誰かが一歩を踏み出す、きっかけになるような
そんな作品をお届けします。

→【映画「あまのがわ」レポートVol.9】OriHimeエースパイロット!番田雄太さんとの出逢いからの軌跡(前編)はこちらから