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ガザで挑戦、ビジネスコンテスト! ビジネスを通じ、共に未来を創りたい!

現在の支援総額
648,000円
パトロン数
33人
募集終了まで残り
終了

現在43%/ 目標金額1,500,000円

このプロジェクトは、2017-08-01に募集を開始し、33人の支援により648,000円の資金を集め、2017-09-29に募集を終了しました

天井のない監獄とも言われるパレスチナのガザ地区で、逆境に負けずソーシャル・チェンジを起こそうという起業家の卵がいます。われわれ「ガザビジ」は、未来を切り拓く若者の挑戦を支えるため、昨年に続き2017年も起業コンテストを開催します!(優勝者は世界の起業家と共に日本へ招聘)

日本の起業家とガザの起業家の出会い〜キズキ・安田さんからのメッセージ

今回、ガザでのビジネスコンテストに参加した方の1人、キズキの安田さんからのメッセージをお届けします。

安田さんは学生時代からパレスチナに関わり、卒業後は起業し、中退不登校向けの塾などを経営してます。昨年に引続き、今年もビジネスコンテストのプログラムの一環で、現地の起業家に自身の経験を話していただいたりしました。

[写真は最終日、優勝チームECO HOMEやガザのパートナー団体との夕食会。右から2番目が安田さん。後方の真ん中に写っているのが昨年の準優勝チームSketchのメンバーのガーダとアマル]

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ガザに渡航した安田です。

今回は、昨年に引き続き、ビジネスコンテストに参加しました。

僕は大学時代に、本プロジェクト代表の上川路が立ち上げた「日本・イスラエル・パレスチナ学生会議」(イスラエル・パレスチナの学生たちを日本に招致する活動)に参加しました。

その時からパレスチナへの思いを強く持ち続けていましたが、大学卒業後は日本で起業し、今は教育・福祉関係の会社を経営しています。

けれども、このビジネスの経験が、少しでもガザの起業家たちの役に立てればと思い、2度目の参加となりました。

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ガザ到着初日、昨年夏の準優勝チームSketchのメンバーで、今年3月に日本に招致したアマルに街を案内してもらいました。

アマルは、昨年と比べて英語が流暢になっていました。

「初めてガザの外に出て、ちゃんと英語を使う機会があって、初めて人に伝えることが大事だと知ったわ。」

日本からの帰国後、映画を英語字幕で何度も見て単語や表現を増やした、と。

ガザという監獄の中で25年間生まれ育った若者が、ガザの外に1週間出るだけで、これだけ成長できるのだと知りました。世界における機会の不平等が優秀な若者の可能性を潰していることを、知りました。

その翌日、実際のビジネスコンテストが始まりました。まずは1次選考です。僕は審査員ではなかったものの、どんなビジネスプランが出てくるのか楽しみにしていました。

しかし実際には、あまりにプレゼンテーションのレベルが低く、戸惑いました。論理的に説明する力、審査基準を想像する力など、すべてが欠けていました。

「これでは、審査以前の段階だ・・・」

そのため、その日のプログラム終了後、僕は1チーム1チームを周り、「人に伝わるプレゼンテーションとは何か」レクチャーして回りました。

 

僕のアドバイスに対して、必死でメモを取る彼らの姿に手応えを感じながらも、

「翌日の最終選考で、良いチームを選べるのだろうか・・・」

不安が募りました。

 

そして翌日、最終選考でした。1次プレゼンを突破したチームのプレゼンを再度聞きました。

すると、どのチームもスライドをほぼ全て作り直していました。たった一晩の間で、10枚以上のスライドのほとんどを修正したのです。しかも彼らの母国語ではない英語で。

多分、ほぼ徹夜だったのではないかと思います。

一番熱心にスライド修正に取り組んだチームは、廃材から家具を作るチームでした。彼女らの最終プレゼンは素晴らしいものだったけれども、残念ながら彼女らは2位に終わり、優勝することはできませんでした。

けれども、彼女たちは僕に、とびっきりの笑顔で話しかけてくれました。

「日本にも行けないし、お金ももらえない。でもこのコンテストに参加して、本当に良かった。今まで知らなかったビジネスのことを、たくさん知ったわ。」

僕は起業家・経営者でありながらも、ビジネスそれ自体にはあまり価値を感じていません。便利な社会がより便利になったところで、人間の幸福はそれほど変わらないと思っているからです。

けれども、ガザでの起業支援は「普通のビジネス支援」とは決定的に異なります。

若年者失業率60%という仕事がないという絶望を希望に変えることができる。そして、我々外国人の支援によって「世界から見捨てられている」という悲しみも希望に変えることができる。

このプロジェクトは、確実にガザの若者たちに希望を与えています。

日本からは見えづらいかもしれませんが、多くのガザの若者たちが変わり始めていることは信じてください。 

Hope without Life:希望の芽を守り、育てる責任

 昨年に引き続き、今年もガザでのイベント準備・運営を担当した岩田です。(ビジネスコンテスト最終日の写真。1列目の一番左が岩田)

活動報告などで何度も繰り返されていることですが、ガザを訪れると、彼らが直面している状況の深刻さに圧倒させられます。

ガザの人々に、生活の中で何が一番問題かを尋ねると、返ってくるのは

「全てだよ。ガザでは問題がないものはない。」という答え。

戦争中の話を聞くと、彼らが抱えているものの大きさが測り知れず、何も言えなくなります。

海辺でガザの美しいすぎる夕焼けを眺めながら、本当に私たちにできることがあるのだろうか、そう無力感を感じずには入られませんでした。

 [ガザビーチでの夕焼け]

でもそんな自分の小ささを痛感し、落ち込んでいる私を元気づけたのは、他でもなくそうした環境下でたくましく生きるガザの人々でした。

特に若者は、エネルギーと希望で満ち溢れている。

「あなたの夢は何?」

そうガザの若者たちに聞けば、ほぼ100%答えが返ってくる。

「医者になって、戦争で負傷した人たちを助けたい。」

「学校の先生になって、子供たちを教育したい。」

「エンジニアになって、ガザに灯をともしたい。」

自分たちの故郷、人々を想う、とても立派な答えが。

 

日本での高い自殺率や、夢を持てない若者の話を聞いた時、“ Life without Hope”

そう表現した人がいました。

でもガザは、“Hope without Life”と。

個人的にとても共感できる言葉でした。

 

どんなに生活が苦しくても、困難に遭遇しても、ガザには常に希望があります。

ガザの家族が、2014年の戦争中に被害を受け、壁の一部が破壊されたままの家に招待してくれたことがあります。

そこで出会った17歳の少女イマンさんは、インターネットはもちろん、夜電気がない中キャンドルの灯だけで、医者を目指し毎日必死に勉強していました。

壁が一部ない家に暮らしているため、夜野良犬や泥棒に入られることも少なくないそうです。

  [戦争で壁が破壊されたままのイマンさんの家]

どうしたらそんな状況の中高いモチベーションを保ちつづけられるのか、単純に疑問に思い、聞いてみました。

「人生は短い。だから自分にできることを精一杯やって、思いっきり楽しまなきゃ。」

それが彼女の答えでした。

 [写真中央の赤いヒジャブをしたイマンさんとその家族]

多くの方々の協力で不可能を可能にしてもらいガザに赴き、そこででかけがえのない人々と出会い、現実を目にし、痛みを感じ、希望を見つけた私たちには、この希望の芽を守り、ともに育てていかなければならない義務があります。

70年以上にわたり複雑化された政治は簡単には動かせない、リスクも高すぎる。だからこそ私たちが選んだ、ビジネスというより現実的・持続性のある手段。

私たちとともに、このポテンシャルで溢れた若者たちが、ガザの未来を築き上げるサポートをしていただけたらと思います。

残り2日、支援・シェア、どうぞよろしくお願いいたします。

ガザの職業訓練学校の校長・Jamilさんのメッセージ

本日は、今年のビジネスコンテストの会場となったUNRWAガザ職業訓練学校のJamil Hamadd(ジャミール・ハマッド)校長のメッセージをお届けします!Jamilさんにはイベント開催にあたり多大なサポートをいただき、当日も審査員を務めていただきました。

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このプロジェクトは、クリエイティブなプロジェクトを考えたガザの若者を前進させビジネスの世界に行けるよう促すための支援として、とても素晴らしいUNRWAと日本の協働事業と言えます。

このような支援は、ガザの若者が、慢性的に失業率が高い課題に対し、実践的な解決策を他者と積極的に考え始めるために最も価値があることです。また、このような取り組みは、コミュニティの課題に対して、経済的な解決策を自発的に考えることを促し、参加者は、コミュニティに対して愛着心を高めるために他者とどのように相互作用を生み出せるか、考えを共有したりネットワークを構築したりしながら、いかに効果的に広い視野でビジョンを立てることができるか、を学ぶことができます。

このイベントは若者たちに多くのことを教えてくれました。努力を重ねること、実践的な解決策を見つけるためにコミュニティで共有すること、生活での課題を乗り越えるために、経済的なアプローチに注力しながら、環境への配慮をしていくことなど。

運営側がとったアプローチは素晴らしく、日本から多くの成功事例を共有し、キャリアで成功するよう後押しするためのモデルを示してくれました。加えて、メンターたちは、異なる経験として、プロジェクトを行う上でのスキルの構築や、参加者の参考となるような、彼らが実際に直面している課題を話してくれました。

このようなアプローチによって、ガザの若者たちが積極的に交流を持つようになり、日本人にも、より良い未来を構築するにあたりボトルネックとなるものを乗り越えるための後押しをする機会となりました。このイベントは、まさに、平和な世界をあらゆる場所で作るために、経験を共有して互いに助け合い、真性なビジョンを持つという目的に向かって、国を超えた協働を成功させるための教訓を教えてくれました。

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先日ご紹介したインキュベーター・YousefやJamil校長のように、ガザには若者の起業を支援する方々が多くいます。高い失業率、封鎖された環境。状況は厳しいですが、日本からの人・資金・技術力などのリソースで、ガザの人々が直面している課題を一緒に乗り越えられればと思います。

ぜひ、引き続き、ご支援のほど、よろしくお願いします!

ガザ訪問を振り返って〜「天井のない監獄」の意味とは

ガザ現地に渡航した笹尾です。ガザでのビジネスコンテスト「Gaza Entrepreneur Challenge(GEC 2017)」開催より約一か月が経ちました。

帰国後は報告書作成や報告会準備を行ったり、日本側でサポートしてくれたガザビジメンバーや友人たちに経験を話したりしながら、ガザで見たもの、聞いたものを咀嚼してきました。今日は、私なりにガザでの5日間から感じたことを率直にお伝えします。長くなりますがお付き合いください。

大学時代は紛争解決学を学び、パレスチナ支援のNGOに関わりながらも、これまで一度もパレスチナ・イスラエルを訪れたことがありませんでした。もっと言えば、今回が初めての中東渡航。文献からの情報や人から聞いた話でのみ知っているパレスチナ世界に実際に足を運ぶことができるGEC 2017は、待ちに待った機会でした。

ガザは「天井のない監獄(Open-Air Prison)」と呼ばれることを、ご存知でしょうか。今回の渡航で、私はこの言葉の意味を肌で感じることになりました。

2017年3月、昨年度ビジネスコンテストの優勝/準優勝者として来日したマジッドとアマルとの出会いが、私にとって初めてのガザ出身の友達を持った瞬間でした。彼女たちの帰国は寂しかったけれど、半年後には私がガザを訪問して再会できる、そう思うとそれほど辛い別れとは思いませんでした。

今回、マジッドはアメリカで学ぶ機会に恵まれガザには不在でしたが、アマルとは半年ぶりの再会を果たすことができました。アマルは訪日の経験をプレゼンしてくれるなどGEC 2017を盛り上げてくれ、また日本から来た我々をこれ以上ない温かさでもてなしてくれました。アマルだけでなくGEC 2017を厚い協力体制で支えてくれた現地インキュベーターの方々などともとても親しくなり、新たな友達が沢山できました。

実は、ガザ渡航前、友人たちに「ガザってどんなところなの?危なくないの?」と聞かれる度、行ったことのない身でどのような回答をしていいか分からず、「去年も開催しているし、たぶん大丈夫」と曖昧な返事をしていました。正直、人々がどのような生活を送っているのか、本当に危険がないのか、心の底から理解しているとは言えない状態で、えいや!と飛び込んだ部分もあります。

そんな私を待っていたのは、至って「普通」の人々の生活。もちろん電力不足や紛争の影響など不自由が沢山あり、物的欠乏の中に置かれながらも一見我々と変わらぬ精神状態で生活していること自体が、彼らの奇跡的なresilienceを物語っているとも思います。

[カメラを向けたら、写真を取り合おうといった少年]

人々の関心や楽しみは日本に暮らす我々と変わらず、友達とアイスクリームを食べに出かけ、家族との団らんを楽しみにし、趣味の絵を描き、試験に向け勉強をする、そんな「普通」の生活が垣間見えました。それこそが私にとって大きな発見であり、滞在中、「なんだ、意外と普通だ」と安堵したのを覚えています。

一方で、ガザの人々と仲良くなるにつれ、「監獄」を感じるようになりました。

「次会えるのはいつだろう」という話になると、いつも外国で新たな友達ができると起こる「次は東京で待ってるよ、ぜひ来てよ!」という会話ができない。そんなこと絶対に言えない。彼らがガザから出ることはまず不可能であり、次に会うのはほぼ確実に、私がガザを再訪するときだから。

もちろんガザを再訪したいのでいいのだけれど、これではまるで、私が「面会」に来るみたいじゃない。そう思った瞬間ハッとし、背筋が寒くなりました。

ここはまさに、天井のない監獄。空は見える、けれども壁に囲まれ外には出られない。私はこれまで座学で学び、日本でプロジェクトに携わりながらもこの数年間、「天井のない監獄」の本当の意味に気がついていなかった。

だから、私は伝えたい。私がガザで見たもの、感じたものを。誰もが容易にガザに行ける情勢ではないからこそ、行く機会を掴んだ者の責任として。

11/2には報告会を予定しており、決まりましたら、ウェブサイトFacebookでご案内しますので、ぜひお越しください。

長文になってしまいましたが、少しでも多くの方にガザとはなんなのか、我々がガザに足を運ぶ意味を知っていただきたいと思い今回の振り返りを書かせていただきました。キャンプファイヤはまもなく終了しますが私たちの挑戦は続きます。この挑戦が不要になる日を心待ちにしながら。

あと少し、応援をいただけるとうれしいです。 

パレスチナ製品販売をする起業家・パレスチナアマルの北村さんからのメッセージ

今回は、パレスチナ製品の販売を行う「パレスチナ・アマル」の北村さんのメッセージをお届けします。ビジネスでパレスチナに関わる北村さんには、今年のビジネスコンテストで自らの起業経験もお話しいただきました。今回のコンテストをきっかけに新しい商品発売も進んでいます。

(ちなみに、紹介されている国連(UNRWA)の刺繍プロジェクト「Sulafa」はリターンにも入っています)

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こんにちは。パレスチナ・アマルの北村です。

私は今回はじめて、ガザビジに参加させていただきました。

そして実際にガザに赴き、ガザの起業家たちを前に、私のビジネスについてお話しさせていただきました。

私がガザと関わりを持つようになったきっかけは、1999年に医療系NGOのプログラムに参加したことです。最初心配しましたが、ガザの人々は一様にホスピタリティーに厚く、温かく迎え入れて下さいました。物質的には決して豊かではありませんが、人と人のつながりとか、ぬくもりとか、思いやりなんかが路地裏にまであふれていて、私はすっかりガザに魅了されました。

それ以来、いつも心をパレスチナに飛ばしていたのですが、ビジネスを通してパレスチナに貢献することができればと4年前にパレスチナ・アマルを立ち上げました。

アマルでは、パレスチナ製品の販売を行っています。現地に唯一残る織物工場で、旧式の日本製の織機(SUZUKI LOOM)で織られた最後のパレスチナ織物「ラスト・カフィーヤ」や、300人のガザの難民女性が作り手である国連(UNRWA)の刺繍プロジェクト「Sulafa」のパレスチナ刺繍など。それらの商品の販売を通して、現地の伝統や文化をお伝えしています。そして「紛争」のイメージの強いパレスチナのイメージを、優雅に覆すことができれば、と思っています。

こうした私の経験が、ガザの起業家たちの役に立てば、とお話しさせていただきました。そして、私自身も、起業家たちのプレゼンを興味深く聞かせていただきました。そして、参加チームである女性団体とのご縁をいただきました。彼女たちの商品を、日本で販売する予定です。こうした形でガザの起業家とコラボできる機会をいただき、本当にありがたく思います。

[ビジネスコンテストを機に日本で販売することになった団体との打ち合わせ]

ガザにはたくさんの可能性があります。

失業率の高いガザにおいて、ガザビジの活動は起業家たちにとって、大きな「希望」に他なりません。その灯を広げることができるよう、ガザビジを応援していきたいと思います。