これまでに1件のプロジェクトを投稿しています

  • 在住国:日本
  • 現在地:東京都
  • 出身国:日本
  • 出身地:愛知県

1971年に愛知県刈谷市というところで生まれました。 9歳の時に愛知県愛知郡東郷町というところに引っ越しました。 実家の真ん前に公立中学校があるのですが、当時は校則で髪の毛を丸刈りにしなければいけなかったのが、それが嫌だというだけの理由で中学から私学に進み、1990年に大学に入るために関東に出てきました。東京に、と書きたいところですがアパートがあったのは埼玉県朝霞市です。 大学では歴史学を学び、アイルランド独立戦争をテーマに卒論を書きました。 その後、今風に言えば人材系スタートアップ企業で3年間働いたのですが、もう少し学問をやってみたいと思ったので金沢大学の修士課程に進み、そこで音楽社会学を学びました。修士論文のテーマはアイルランド音楽のBGMとしての受容について、です。その人材系スタートアップ(株式会社P&P)はその後、上場企業にまで化け、私の後輩が本部長になったりしていたので、そのまま残っておれば今頃は・・・とも思います。 修士課程を出た後は東芝の下請け工場で新幹線「のぞみ」のエアコンのインバータを作ったりしていましたが、2000年に立教大学の博士課程に入学し、翻訳の仕事などをしながら2005年に博士号を取得しました。博士論文のテーマは、音楽の本質は音ではなくリズムであるというものです。 2006年にはハワイの先住民の伝統文化復興運動についての本を翻訳出版し、それが縁で広島市こども科学館と川口市立科学館のプラネタリウム番組の監修も頼まれました。川口市立博物館の方はナレーションが坂本真綾さんだったのですが、当時の私はそれがどれだけ大変なことか気づいておりませんでした。愚かなり。 2007年からは立教大学社会学部で色々な講義を担当させてもらいました。 2013年にふと思いついて、父親用育児バッグをオリジナルで作って販売するというプロジェクトを立ち上げました. 2016年には障害者就労移行支援施設の立ち上げのプロジェクトマネージャーをやりました。 2017年から2018年にかけてはリケンテクノス株式会社様の社内ベンチャープロジェクトのスーパーバイザーとして、プロジェクトマネジメントやマーケットリサーチ、プロダクトデザインなど幅広く担当しました。 他にも地域起こしイベントの仕掛け人や外国映画の字幕の監修など色々とやってきました。 こうやって書き出してみると、何をする人なのかさっぱりわからないのですが、一言で言えば「色々な困りごとを解決したり、プロジェクトを立ち上げて形になるまでを支援する人」だと思っています。

支援者になっているプロジェクトはまだありません。